いってみた、やってみた

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へなちょこ男が世界に挑む奮闘記(そして負けます)

英語コンプレックスが爆発した話

帰国子女なのに英語コンプレックス

私は、帰国子女だ。ニセモノの。

ニセモノというよりは、なりそこないである。

ktravelgo.hatenablog.com

要は、数年間アメリカに滞在していたものの、学齢期前だったこともあってみごとに英語という言語の習得が出来なかったタイプの帰国子女である。

なまじ英語圏でなければ英語ができないことの言い訳にもなったかもしれないが、アメリカにいてしまったという事実が私の心にはズーンと重石のようにのしかかっていた。

しかし、そんな状況だったからこそ、英語ができない悔しさに火が付き、英語を頑張るきっかけが生まれたのだ。

英語教育なんて、中学校に入ってThis is a pen. I'm fine thank you.を習うまで全く受けたこともなかったのだが、高校時代には一番得意な科目になっていた。

大学に入っても英語にはできるだけ積極的に触れ合おうと考え、細々と勉強は続けていた。

しかし、ふとしたところで、私が英語に対して生来持つコンプレックスが爆発してしまう瞬間があるのだ。

英語で授業

英語の授業ではなく、英語で行う授業のことだ。

私は、法学部の大学二年生になっていた。

その時には英語検定一級を持っていたし、英語の授業での成績もよかった。

そこで、英語で行われる専門科目の授業を学期で二つ履修することにしたのだった。

一つは、ドイツ人の教授による国際取引法の授業。

もう一つは、日本人の実務家教員による国際機構に関する授業だった。

どちらのクラスも20人前後の学生が履修していたのだが、私以外のほとんどが留学生、さらに彼らは知り合い同士らしく、いつも仲よさそうに固まって座っていた。

その状況だけでも非常につらいものがあったのだが、さらにつらかったのはドイツ人の教授の授業では英語で意見を求められることだった。

その授業では、ランダムに学生が指名され、教授の質問に答えなければならない。

留学生集団は、ネイティブがほとんどであったし、さらに周りも知り合いばかりということもあってか、非常にスムーズに堂々と解答を述べるのだ。

かたや私は、詰まりながら、自分でも何を話しているかわからない内容を何とか言い終える、というレベル。

恥ずかしいという思いがぐるぐると回ってしまい、次に答えるときには余計にパに食ってしまうという悪循環に陥っていた。

もう一方の、日本人教員の授業は、いわゆる講義スタイル。

伝統的な日本風の授業をただ英語で行っているという感じである。

こちらは、私にとっても理解しやすく、パニックに陥ることもなかった。

日本人教員は、国際的経験豊富でありながらもとても腰が低く、丁寧な人物で、私はとても良い先生であると思っていた。

先生の英語はいわゆる日本語英語であり、発音がネイティブ級だとか、流れるように話し続けるといったものではなかったのだが、国際的な場で日本代表として振舞ってきた自信をも感じられる英語であった。

しかし、ドイツ人教授の授業で、堂々と話していた留学生集団は、非常に退屈そうに授業を受けていた。

ある日のことである、私が教室に少し早めに入った瞬間であった。

留学生集団が、日本人教員について話しているのを耳にした。

「あの人の英語、聞き取りづらくて何言ってるかわからない。」

「この前、質問したら三回くらい聞きなおされたよ。英語分かってないんじゃない。」

「ドイツ人の先生の授業は面白いのにね。」

そう、彼らはほかならぬ日本人教員の英語について批評を繰り広げていたのであった。

コンプレックスが刺激される

私は、まるで私の英語が批判されているかのような気分になっていった。

ドイツ人教授の授業で全く気の利いた発言も的を射た回答も出来ていなかった私は、英語に対するコンプレックスを増大させていた。

そんな折に、あの留学生集団が日本人教員の英語について小馬鹿にしたような発言しているのを聞き、私の中で英語コンプレックスが爆発してしまったのだ。

悔しい。その一言に尽きる。

 

私は、英語でうまく言えない苦しさ、もどかしさ、を日本人教員に重ね合わせた。

ドイツ人教授の授業で、私は、相変わらず当てられ続けてもうまく答えられない。

さらに留学生集団が日本人教員へ取る態度もだんだんと横柄になっていったように感じていた。

日本人教員の英語について悪口を言っていた彼らは、おそらく私の英語力も絶対に軽視しているだろう。

英語で物事をうまく言えないことによって、彼ら英語ネイティブに軽視されるというのは何と悔しいことか。

英語が上手くしゃべれないことで、英語ネイティブから劣った存在としてみなされてしまうように感じた。

自分がバイリンガルに育った帰国子女になれなかった運命を呪ったのであった。

意外な結末

気が付くと、もう学期末が近づいていた。

私は、最後まで、ドイツ人教授の授業をうまく乗り切ることはできなかった。

当てられるたびにパニックになるし、うまく単語が出てこない。

悔しさをバネに変えて、復習は頑張ったし、自主的に本も読んでいた。

それでも留学生集団のようにうまく英語で切り返すことはできなかったのだ。

しかし、このドイツ人教授の授業では学期末テストというものがあった。

全員がクラスで、学期の内容についてペーパーテストを受ける方式だ。

テストは終わった者から順に帰って良いことになっていた。

私は、この学期末テストをクラスで一番に終え、帰宅した。

非常に簡単な内容で、記述欄も書くことは大体分かっていたので、あまり抵抗なく解くことが出来た。

あれほどまでに、流暢に答えていた留学生集団は私が終えた際もまだまだテストに取り組み中といった印象だった。

その数日後、今度は日本人教員の授業でテストがあった。

こちらは一斉開始、一斉終了のテストだったのだが、ドイツ人教授のテストと同様に内容が簡単だったのでほとんどの時間は暇であった。

ようやくテスト時間が終わったとき、留学生集団が話しているのを聞いた。

「両方の授業ともテスト難しすぎるよ。」

「授業範囲と全然違うものが出たよね。」

「ドイツ人の先生のテストがあまりに難しくて、こっちの日本人の先生で挽回しようと思ったけど無理なくらいこっちも難しかった。」

私は、この発言を聞いて衝撃を受けた。

あれほどペラペラと流暢に答えていた授業中の姿は何だったのか。

あれほど、日本人教員を馬鹿にしていたのにこの程度の問題も分からなかったのか。

衝撃が沸き上がって止まらなかった。

そう、私が一方的にコンプレックスを感じていたのは、彼らが「それっぽいことをそれっぽく」言うための英語技術なのである。

彼らはネイティブだからこそ多彩な言い回しを効果的に使う能力は非常に高い。

だからと言って、物事の中身を深く理解したり、それをペーパー上に書き表したりする能力が著しく高いわけではないのである。

その瞬間、私は自分が感じていた英語コンプレックスとは何だったのであろうと思った。

英語ネイティブだから、英語が上手く言えるから、自動的に彼らの知性が高いということにはならないのである。

そんな当然のことすら忘れさせてしまうくらい英語とは特別な言語であるようにも思う。

英語でうまく言いたいことを言えない人が劣った存在である、と一番思い込んでいたのは結局自分だったのかもしれない。

最後は、最近見つけた私のお気に入りの言葉で締めくくろう。

"Never make fun of someone who speaks broken English. It means they know another language."

-下手な英語を話す人のことを馬鹿にしてはいけない。それは、彼らが他の言語を知っていることを意味するのだから。-