いってみた、やってみた

いってみた、やってみた

へなちょこ男が世界に挑む奮闘記(そして負けます)

満員電車に乗ってると死にたくなるときあるよね

人生を見つめなおす時間

あ、また人身事故だ。。。

私は満員電車が嫌いである。

嫌いとかいうレベルではなく心から消滅してほしいと思っている。

満員電車のせいでどこにも行きたくなくなる時も多い。

まして、朝のまだ眠い時間に人々が仕事へ向かうピリピリした満員電車などこの世の地獄とも思えてしまう。

人身事故が発生したときの絶望感は表現のしようがない。

人間の生命が失われた状況でありながらも「ちっ、人身かよ」「また電車遅れるじゃん」といった反応、駅員を怒鳴りつける乗客、遅れに遅れてとても乗り込める状態ではない電車、どれをとっても恐ろしいものだ。

ラッシュアワーの電車に飛び込んで自分の人生を投げ出すという行為には、満員電車に代表される社会の不合理だとか辛さに不満をぶつける意味合いがあるのではないかとも思えてくる。

人生のロスタイム

そもそも、満員電車で何の生産性もない時間を毎日数時間過ごすということは人生にとっても大きな損失である。

寝る時間を削っているかもしれないし、趣味の時間だって少なくなっているかもしれない。

満員電車でイライラしながら過ごす数時間はいわば人生のロスタイムなのである。

しかも最悪なことに、サッカーの試合と違ってロスタイムは失われたままである。

逆転ゴールを決めるチャンスが回ってくるわけではないのだ。

満員電車をどうにかして回避したい

傾向と対策

そうなってくると是が非でも満員電車を回避する生活パターンを送りたいと考えるのが通常であろう。

満員電車は多くの場合通勤や通学の時間、そして帰宅の時間と重なるため、朝であれば7時から、夕方であれば17時ころから大方の電車は混雑している。

対策法①

時間をずらした生活を送る。

単純だが最も効果的である。

混む電車が嫌なら混まない時間に乗ればいいのである。

しかし、学校に通う学生は授業時間が決められているので無理だし、フレックスタイムだってなかなか利用しづらい人もいるだろう。

そもそも電車が混まなくなるような昼帯のみで一日の用事が済むような人はなかなかいない。

時間をずらすにしても、行きか帰りのどちらかでは満員電車の時間と被ってしまうことは必至である。

対策法②

住む場所を変える。

言うは易し行うは難しである。

そんな簡単に引っ越しが出来るのであればどれほど素晴らしいことであろうか。

中心部に近づけば家賃だってかかるし、家族の事情もある人もいるだろう。

対策法③

絶望を受け入れる。

満員電車に毎日揺られイライラしながら数時間を無駄にすることを受け入れ、耐え忍ぶのみである。

だめじゃん

これでは何の救いもない。

満員電車がいろいろな意味で不可避ある故、私のような小市民が出来ることは耐え忍ぶことしかないのである。

満員電車問題の死にたみ極まれりである。

典型的な郊外出身の私など、中学生の時代から満員電車に揺られて生きてきたのだが、これから先もそうやって人生を過ごすのかと思うと吐き気すら覚えてくる。

本当に何もできないのか

鉄道会社は・・

鉄道各社は満員電車問題についても一定程度対策を取っているようである。

時差出勤を促す取り組み、車両の改善、さらには中央制御システムを進化させ効率的な運用を目指すなど具体的な対策が行われているのは事実だ。

小田急電鉄などは、複々線化という超大型工事を行い、輸送能力を倍増させた。

しかし、それでもあまりに利用者数が膨大であるからか結局ラッシュ時に混雑するのは避けられていないように思える。

もはや鉄道会社がどうにかできるレベル感の問題ではないのだ。

行政も小池都知事をはじめ、この問題に取り組もうとする動きはある。

二段重ねの電車など突飛ではあったが、何か変化を起こそうとしている点で私は都知事のアイデアを評価したい。

結局何が求められているのか

満員電車問題というのはそもそも、時間に追われている人々の焦りが生み出すものである。

一分遅れたら烈火のごとく怒られるような風潮、私たちは小さいときから刷り込まれてきたのではないかと思う。

こういった時間に対する認識というものが満員電車を生み出しているのではないかと思うのだ。

「この電車を逃したら一分遅刻してしまう」

遅刻しろとは言わないが、時間に追われるあまり心に余裕が持てない人が多いように思われるのだ。

満員電車問題は、時間に追われる社会が生み出したものなのではないかと強く感じる。

さあ、明日も7時10分発の電車に乗らなければいけないのでもうそろそろブログを切り上げて寝ようかと思う...