いってみた、やってみた

いってみた、やってみた

へなちょこ男が世界に挑む奮闘記(そして負けます)

すぐ舐められる病

私は他人から軽んじられるタイプだと思う。

さいころからそうだ。

基本的に他人の話に対しては否定することもなく、「うんうん」「そっか」を繰り返して聞いてしまうからか、はたまた、陰キャの空気がプンプンしているからか、気が付くと会話の相手が調子に乗っていることが多い。

私は別に聖人ではないし、どちらかというと性格は悪いと思うのだが、相手からするとこいつに対しては何を言っても、どんなにぞんざいに扱っても大丈夫となめられていることが多い。

気が付くとマウントを取られるような発言だったり、明らかに私を下に見てくるような態度を取られるたりすることも何回もあった。

私とてそこまでアホではないので、軽んじられているかいないかくらいは当然すぐに気づく。

しかし、私のような典型的陰キャはその場で言い返すことも出来ず、後から思い出して悔しいと一人布団の中で唇をかみしめるのだ。

陰ターンシップ

私は、いわゆる「意識高い」系が集うインターンシップに参加していた。

そもそも就活自体滅びろと思っていたクチのくせにそんなインターンシップに参加した理由は今考えても分からないのだが、一種のマゾヒズム的精神で自分が最も苦手とするタイプのイベントに参加してしまったのだ。

そのインターンシップは、インターン生が4-5人グループになって3日間さまざまな課題に一緒に取り組んでいくというタイプのものであった。

グループワークというだけで吐き気を催し、さらにそれが3日間朝から晩までみっちりとプログラムが詰め込まれており、さらに来ている学生の層が明らかに私の性格と合わないタイプの奴らばかりという驚異の悪条件。

鬱な気分満載の私と違って、私のグループにいた他の学生は「アピール」の場としてやる気に満ち溢れているようだった。

自己紹介は品定め。

私の運命はグループで自己紹介をする時点で決まっていたといっても過言ではない。

大学院生です。

といった瞬間の周りの学生の表情。

こいつはどうせモラトリアムでヘラヘラ生きているに違いないという決めつけの表情。

言葉を発しないものの明らかにそういう雰囲気が出ているのを察知した。

かたや、他の学生は一人「30秒程度」という時間制限を無視して、いかに自分が「国際的で」「活発で」「ボランティア活動も行っていて」というアピールを存分に行っていた。

この時点ですでに勝負はついていた。

単なる大学院生の私<<<<<<<<<<他の学生

そこには、とても乗り越えられないような壁が既に築かれていた。

存在無視

自己紹介が終わるや否や我々には次々に課題が与えられた。

紙資料がどんどんと配布される。

「資料から読み取った情報をまとめてください。」

「商品の売り上げを増加させるためのアイデアを出してください。」

問題はここからだ。

グループワークで課題を解き、それを社員、そして他グループの前で発表しなければならないのだ。

気が付くと、他の学生は訳の分からない模造紙に訳の分からないことを書きまくっている。

私が陰キャ特有の変に丁寧な態度で言う。「あの、まず資料を読みませんか・・・」

無視。

自己紹介の時点でボス猿感が出ていた男が言う。「まず資料を読み込もう!」

グループ員「そうだね!(満面の笑顔)」

陰キャの人生なんてこんなもんである。

資料を読むなどという指示は誰がしたって同じである。

発表用の模造紙に訳の分からないことを書きなぐっているのはブレインストーミングとしてもあまり意味がないし、最後の発表の資料としても汚くなってしまう。

そういうことを考えたうえで必死に言ってみた私の発言は見事かき消され、同内容の発言をしたボス猿の発言はみんな聞く。

その後も、何かを発言しても「そうだね」と薄い反応しか得られないのに、他のメンバーが同じ内容の発言をすると「いいね!!(満面の笑顔」「やってみよう!!(満面の笑顔)」と反応を得ることが何回も見受けられた。

結局その三日間で私の発言は無視され続け、無駄に精神的ダメージを食らうだけ食らってインターンシップを終えたのであった。

やる気がないように見えたから、と言えばそうなのかもしれない。

結局、他の学生も私の本心を見透かして私のようなしょうもない人間の意見はアクティブに無視しようと決めたのかもしれない。

私の声が小さかったのかもしれない。

私の発言の仕方がキモかったのかもしれない。

自責しようと思えばいくらでもできる。

ただ、私の人生でこういった類の経験と言うのは初めてではないのだ。

Tくん

Tくんは、大学のドイツ語の授業でクラスメイトだった。

右も左もわからない大学生活。

何気なく話しかけた相手がTくんだった。

友達が欲しかった陰キャの私は、Tくんという話し相手が大学にできたことを喜んでいた。

Tくんは、いろいろなことに興味を持っているようで、私のようなエネルギー低め人間にはわからないような世界のことを知っていた。

いろいろな話をしてくるTくんに私は「へぇーすごいね」とか「そうなんだね」とか中身のない肯定を繰り返していた。

Tくんは一年生の夏、ドイツに短期語学研修へ行った。

夏を終えて、秋学期に再開した私は、Tくんの態度に違いを感じるようになっていった。

そもそも、Tくんがいろいろと話をしてくるときも基本私を下に見るニュアンスが含まれているような気がしていたのは感じ取っていた。

「この前バイトでさ~」「あ、まだお前バイト決まってなかったよね(笑)」

「サークルでさ、合宿あったんだけど」「そういえばお前のサークルってなんだっけ。なんか暗い人多そう(笑)」

いま思うと、目くそ鼻くそを笑うとしか表現のしようがないのだが、そんなTくんをスパッと「切る」こともできずうだうだと関係は続いてしまっていた。

そして、いま、ドイツ帰りのTくんである。

夏の間ドイツにいたということを自慢したくてしょうがないらしく、事あるごとに「ドイツではね」「ハンブルクの発音はね」「ドイツのホンモノのビール飲みてえな」

としょうもない自慢をしてくる。

「え、ていうかお前海外行ったことある?」

というマウントをTくんにとられたのもこの時期である。

私はなりそこないだが帰国子女である。

バカバカしすぎてTくんに伝える気もしなかった。

ここのあたりから私はTくんのことがどうでもよくなっていった。

Tくんが私に望んでいるのは、ちょうどいいサンドバッグ的役割であり、「やる気もなくて」「バイトも見つかってなくて」「陰キャ」で「海外経験のない」ヤツという下に見れる存在であり続けることであった。

他人から軽んじられる病のいま

いま、冷静になってこの自分の傾向を考えてみると一つの結論に達する。

自信がない態度が、他人を増長させるのである。

インターンシップでもそうだ。

Tくんだってそうだ。

インターンシップでは、自分が院生であるなどと言うことを少し自嘲気味に言ってしまったが最後、舐め地獄の底まで一瞬で落ちてしまった。

Tくんだって、大学でやっとできた知り合いだから、などと思ってずるずると関係を続けてしまったから下に見られ続けてきたのである。

自分に自信がないのはいいとして、それを他人に見透かされるような態度をとるとすぐに付け込まれてしまう。

私はそんなことを人生でずっと繰り返してきたのだと思う。

だから最近思うのだ。

こびへつらって、自分を不必要に舐められる立場に追いやるような行動は避けるべきだと。

自分が渦中にいると、自分がいる組織だとか人間関係がいかにしょうもなく取るに足らないものであるかはなかなか気づかない。

あんなにしょうもないインターンシップだって、嫌だったら途中で帰ってくればよかったのだ。

Tくんがいなくたって私は大学生活を楽しく送れたわけだから、嫌だったのならさっさと縁を切ればよかったのだ。

いま、振り返って思うのは、私が精神的ダメージを受けてきた出来事ひとつひとつのバカバカしさである。

嫌なら捨てる。

ただそれだけで解消されることが世の中には多いと思う。

人を舐めてくるようなヤツというのは本当に大したことないヤツらばかりである。

私を馬鹿にしたいのならせめてマハトマ・ガンディーとかマザー・テレサとかそれぐらいの業績を残してからにしていただきたい。

 

今の私ならいえる。

インターンシップでイキッってた猿ども!ドイツかぶれのT!

バーカ!!クソ野郎!!

 

こういうのをインターネットで発信しようと思うのが結局私が陰キャたるゆえんだ。