昆明で混迷
それは大学一年生の春休みであった。
一年生秋学期のテストを終え、何気なく購読していたメールリストのとあるプログラムが目に入った。
バングラデシュに行きませんか?
なんだこれは。
タイトルに釣られた私はメールの中身を見ることにした。
そこでは、バングラデシュで行われているグラミン銀行系マイクロクレジットの実態を見学できるスタディツアーの募集がなされていた。
大学に入ったら、いろいろな国に行ってみたいなどと意気込んでいた私にとって願ってもない面白そうなチャンスだと感じた。
すぐに、コンタクトを取り、参加希望を出す。
先方から返信が返ってきた。
ご連絡ありがとうございます。
から始まり、詳細が記述されていた。
このスタディーツアーは日本の研究機関が主催するものであること、そして彼らが「現地滞在」をコーディネートすることがわかった。
「現地滞在」・・?なんでそんな書き方をするのだろうか?
最後にひとこと、当プログラムは現地集合、現地解散となります。
バングラデシュで「現地」集合、「現地」解散?
マジかよ・・。
この当時私は一人で海外に行ったことはない。
まして、いわゆる発展途上国に行ったことなどない。
大丈夫なのか、、などと冷静になってしまうと自分の性格上絶対に躊躇してしまう。
ここでは考える前に行動だ!
意味不明な積極性を発揮し、私は即バングラデシュ行きを決めたのであった。
バングラデシュまでの旅程
ダッカに行きタカッタ。
私が参加を決めたのは、「現地集合」のちょうど二か月ほど前。
航空券もちょうどよく値が下がっている時期だ。
しかし、当時長期アルバイトになかなか入れず、単発のアルバイトで食いつないでいた私には航空券代は痛手であった。
そこで、最安の航空券を発券するため、日夜Skyscannerと格闘していた。
当時の私には知る由もなかったのだが、Skyscannerには怪しい代理店も登録されており、航空券が実際に取れなかったという事件も多発していたようである。
私は、まさにビギナーズラックといったところで、Skyscannerでギリシャに本拠地を置くクソ怪しい代理店を発見し、そこから見事超安バングラデシュダッカ行航空券を手に入れたのであった。
行きはヨイヨイ帰りは怖い改め、行きも帰りも怖い。
ついに、来てしまった。
出発である。
神奈川県在住の私はもはや成田に来るまでで大方の体力を使い果たしてしまったのだが、本題はここからである。
まずは、成田から上海浦東空港までの旅である。
私の記念すべき一人初海外は、中国東方航空上海行となったのである。
上海までの旅は、正直言って楽勝であった。
中国系の航空会社なんて乗ったこともなかったし、そもそも中国に降り立つのだって初めてだ。
不安はいっぱいあったものの、いざ乗ってみるとそんなに変なこともない。
しいて言うなら、中国人乗客が圧倒的多数を占めていてすでにアウェー感満載だったことと、座席にモニターが付いておらず、機内に数台設置してあるモニターで、無音ギャグ番組を延々垂れ流していることと、機内食が日本発便の割には日本風の味付けではなかったことと、CAのお姉さんが完全中国語で話しかけてくることと、隣のおじさんがお粥をズズズズッとすすって食べていたのがゾッとしたことと、機体が良く揺れたことくらいしか気になることはなかった。
それくらいしか、気になることはなかった、、、。
たったのそれくらい、、、。
気が付けば上海。
目的地ではないとはいえ、初めて降りたった中国である。
少し興奮しながらタラップを降りる。
しかしぼやぼやしている暇はない。
すぐに北京行に乗り継がなければならないのだ。
ここでは、空港係員の女性が「北京」という看板を持って、北京乗り継ぎの乗客を誘導してくれていたため、それにただ従って歩いていた。
すぐに北京行の便に乗り込むことが出来た、もちろん中国東方航空だ。
成田から上海までの便の時点ですでにアウェー感があったが、上海発北京行となると完全中国ローカル便である。
相変わらず、機内にはモニターはついておらず、上海までの便ですでに見た無音ギャグ番組が垂れ流されていた。
オチが分かっている無音ギャグ番組を見るほど生産性のないことはないだろう。
機内食は、中国ローカル感が強まった独特の香りのするもの。
笑えたのは余った機内食を二巡目として客に配っていたことだ。
機内での時間を何ら有効に活かさないまま私は北京へと到着した。
北京の夜
北京では何とふざけたことに十数時間トランジットの時間があった。
何も計画していなかった割に強気だった私は、北京の空港から市内へ出ることを決めた。
行き先はもちろん天安門だ。
空港の超絶ぼったくり価格で両替をする。
そもそも私の最終目的地はバングラデシュのはずでは、、。
地下鉄に乗り、何となく市内の方へ向かう。
しかし、Wi-Fi接続を有していなかった私は、天安門がどこなのか全くわからない。
分からないのに出発する。
気が付くと、訳の分からない駅で降りていた。
冷静に考えてみると、既に北京は夜。
今から天安門に行けたとして観光は無理だ。
それに翌朝の便に備えなければならない。
意味不明な大胆さをもって北京市内に繰り出したものの、急に冷静さを取り戻し、空港へ戻ることにした。
空港に戻るまでもなかなか危うかったのだが、何とか空港に戻ったあとはひたすら時間つぶしだ。
読書用の本や、携帯ゲームなど気の利くものを何ら所持していなかった私は、北京国際空港のベンチでひたすら8時間近く横になるという奇行をはたらいたのであった。
昆明で混迷
北京の夜を超え、いよいよバングラデシュに到着する日が来た。
私の購入した激安航空券ではバングラデシュに行くために二日かかる予定となっていたのだ。
恐ろしいのは、二日目も北京からダッカに飛ぶわけではなく北京から昆明に行かなければならないということだった。
もはや感情を失いながら、中国東方航空北京発昆明行きの便に乗り込む。
地図を見ればいかにこのルートがバカバカしいか分かるであろう。
成田から上海、そして北京、そして昆明、ダッカと、一度中国国内で大幅に北上してから大幅に南下、そしてダッカに向かうという無駄さ。
若気の至りの塊のような航空券である。
さて、昆明に行く便は上海発北京行の便の50000倍くらい中国ローカル色が強かった。
昆明は国内旅行客にも人気だそうで、北京から浮かれ気分の中年団体が何やらガチャガチャと元気に機内を暴れまわっていたのだ。
もちろん座席にモニターが付いていない中国東方航空が提供する機内エンターテイメントはまさかまさかの無音ギャグ番組。
上海便、北京便とすでに同じものを二回見ていたが、さすがに三回目となると気が狂いそうになる。
そもそもここまで苦労して昆明に着いたところで、まだ最終目的地に到着していないという地獄。
今すぐにでも途中下車したくなる欲望を抑え、オチ、キャストの出るタイミングすべて把握している無音ギャグ番組をただ見続けた。
昆明
寝てはいなかったのだが、もはや意識が飛んでいたころ、何とか昆明に到着した。
昆明の空港ではタラップから降りて、バスで空港施設に行くというシステムになっていた。
タラップの長い階段のところに差し掛かる。
一人の南アジア系の老女が大きな荷物を抱えて、困っていた。
タラップをこの荷物を持って降りることが出来ないようだ。
仕方がない、手を貸そう。
Thank you.
老女がほほ笑む。
いいことをすると気持ちがいいものだ。
Where are you going?
老女が尋ねる。
ダッカと答えると、彼女は嬉しそうに
Me too!
どうやら老女はバングラデシュ人だったようだ。
空港施設の入り口にはDHAKAという看板を持った係員の女性が立っていた。
なるほどこの係員の女性についていけばいいのだなと思っていると、先ほどの老女が一言
「悪いけど、荷物運んでくれない?」
しょうがないなと思いながらも、行き先が同じであると言ってしまった手前断るわけにもいかず、老女の巨大な荷物を運ぶことに。
意外なことにダッカへの乗り継ぎを希望する人は結構多く、係員の女性にぞろぞろとついていく人の数も20人前後はいた。
スタスタと進んでいく係員の女性。
老女はマイペースにゆっくりと歩く。
ゆっくりと歩くだけならいいのだが、途中にあるお土産の店を冷やかしたり、急に立ち止まったりと列についていく気がゼロの模様。
気が付くと、私と老女はダッカ乗り継ぎの集団から完全に引き離されていた。
いまだのろのろと歩き続ける老女に嫌気がさしてきた頃である。
~くぇdrftgyふじkダカーあくぇrfgtひゅjlp~
!?
中国語はさっぱりわからないが、ダッカと言ってなかったか?
~くぁwせdrfちゅFinal Boarding Call for Dhakaあqwせdrftgyふj~
ダッカって言ってないか??
混迷深める
焦ったなんてもんじゃない。
そもそも中国に旅行に出かけてるわけではなくてダッカに着かなければ何も始まらないにも関わらず、この老女といちゃいちゃしている間にファイナルコールがかかってしまったじゃないか。
この時点で、絶望度マックスである。
そして更なる絶望は、これが中国国内線から国際線への乗り継ぎの為、出国審査、手荷物検査を受けなければならないという点だ。
私と老女は、審査場に着くことはおろか、ダッカ行がどこから出るのかも把握していない模様。
すべて係員の女性にちゃんとついていけば何の問題もなかったのに・・。
老女に恨み言を言いたくなる気持ちを抑え、近くにいた係員にすがるような顔で聞きこむ。
あっちあっち!急いで!という身振りで教えてくれたお姉さんが指さす方向は遥か彼方。
最悪なことに昆明の空港はモダンで超巨大であった。
いや急げやBBA
ヤバい!
急げ!
という態度を前面に出し、ファイナルコールかかってるよということを説明したものの一向に急ぐ気配を見せない老女。
生粋のセレブなのか何なのか知らんが、周りが明らかにバタバタとしているこの状況でも特に焦りは感じないらしい。
いらいらしながらもこの人をここで捨てたらこの人はバングラデシュに帰れないのだななどと意味不明な情が湧いてくる。
バングラデシュに行きたかったのに、、、中国で力尽きるなんて、、、
全部このBBAのせい、、、
出国審査場に何とかたどり着くと、そこには更なる絶望の風景が。
中国人民の長蛇の列
そうだよね。インバウンドだよね(意味不明)
中国の人々にも今や海外旅行は当たり前である。
昆明からも多数の国際便が発着している。
まるでファイナルコールがかかって死にそうな日本人とバングラデシュ人のペアを邪魔するかのようなレベルで中国人民が長蛇の列を作っている。
もうここまでくると運命が私をバングラデシュから遠ざけようとしているとしか思えない。
泣きたくなるのを必死にこらえ、たまたま近くにいた空港係員のお兄さんに泣きつく。
兄さんの覚醒
すると兄さんが突然。
ドントウォーリー!ダッカ!オーケー!
と一言。
そして持っていたレシーバーを駆使し中国語で何やら指示を飛ばす。
私たちを手招きし、長蛇の列から離れた審査場へ。
審査場には「外交旅券」と何やら書かれている。
そして、驚くべきことにこの審査場を通らせてくれたのだ。
審査場を抜けてからも兄さんはひたすら道を先導してくれる。
老女は相変わらずのろかったが、兄さんの形相にひるんだのか2%くらい動きが速まっていた。
搭乗口に着くと、係員らしき人たちが手招きしている。
はあ、間に合った。
既に着席している他の乗客たち全員にガン見されながらおずおずと私と老女は席に着いたのであった。
赤い大地
なんだかいろいろあったがダッカに到着である。
赤い大地が空からも確認できる。
四回目となる無音ギャグ番組を死んだ目で見つめながらもバングラデシュ上空に差し掛かった時はさすがに感動を覚えた。
一にも二にも昆明で私たちの混迷を解決してくれた兄さんには感謝しかない。
私より前方の席に座っていた老女に、ダッカの空港到着後入国審査場の前で追い着いた。
「いやーさっきは大変だったね」と話しかける。
・・・
・・・
え、無視?
なんだか嫌なモノでも見るかのような目で私を一瞥した老女は、昆明では見せることのなかったスピード感でスタスタと私のもとを去っていったのであった。
(続編)