いってみた、やってみた

いってみた、やってみた

へなちょこ男が世界に挑む奮闘記(そして負けます)

サマルカンドNo.1嘘ツキ男

サマルカンド、悠久の歴史を刻むオアシス

広大なウズベキスタンの大地を電車は駆け抜ける。

暑い夏であった。

私は、修論を日本に放置しながらウズベキスタンを旅していた。

首都タシケントからの特急列車シャルク号を降り、サマルカンド駅からミニバスで街の中心へ。

車内で日本語のガイドブックを読んでいると、男性が声をかけてきた。

「私は日本語を勉強しています。サマルカンドへようこそ。」

紀元前から様々な民族が行き来してきた「青の都」は、極東からの迷える旅人も優しく迎え入れてくれた。

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煌びやかな建造物は遥か歴史の彼方へと我々を誘う。

想像を超えてくるサマルカンド

私は駅からのミニバスを下車し、街の中心であるレギスタン広場に降り立った。

なんという風景であろう。

何回もガイドブックで目にした「ウズベキスタンと言えば」というべき壮麗な広場。

生で目にしたレギスタン広場は写真で見た通り、いや、写真なんかよりもずっと壮麗で、文化と歴史の重みを伝え続けているようであった。

私はそんなレギスタン広場のほど近くにホステルを予約していた。

グーグルマップで見る限り、レギスタン広場から徒歩1分。

こんなロケーションでありながら一泊1000円。

ガラガラと重いスーツケースを引きずりながらホステルの方面へと歩いたのだが...

着かない...

着かないどころか、どんどんと住宅街の奥地へと入ってしまう。

グーグルマップに書いてる場所は通り過ぎたはずなのだがそれらしい場所はない。

つまりはグーグルマップが間違っているということなのだろう。

流れ流れてたどり着いた住宅地は明らかにホステルがある雰囲気ではない。

この時気温は40℃近く。

ファッションショーでもするのかというくらいスーツケースに洋服を詰めたことを心から後悔した。

汗はダラダラ、そしてレギスタン広場から徒歩1分の予定が、気が付くと20分近く放浪していた。

死にそうな顔をしながらどうしようと困っていたところだった。

前方に地元民が立ち話をしているのを発見した。

日本で旅行している時ですら地元民に道を聞くなどほぼしない私であったが、あまりの暑さとホステルが見つからない絶望感から迷う間もなく声をかけたのであった。

スマホ上のホテルの予約情報を見せつける。

何やらウズベク語で私に質問する彼ら。

全く分からない。

すると一人の男性がスマホを取り出し、私のスマホ画面を見ながら何やら電話をかけている。

電話が終わると男性は、こっちに来いという手招きをする。

男性以外の立ち話メンバーはにやにやしながら私と男性が車に乗るのを見つめている。

これはまさか男性が私をホステルまで連れて行ってくれるということか?

知らない人のクルマにのっちゃダメってママに言われたんだけどな....

などと男性に弁明する間も語学力もないまま男性のクルマに乗り込む。

車が発進して3分程度経ったころ、私たちはレギスタン広場に戻ってきたのであった。

そして、広場から延びる細い小道に入ってわずか5秒ほど。

私はホステルに到着したのであった。

男性が電話でしゃべっていた内容を推測するに、

「このクソドアホが道間違えてとんでもない所に来てるんだけど、おたくはレギスタン広場からすぐですよね?しょうがないから今から車で送ってやりますよ。そうじゃないとこいつ行き倒れそうだし。ていうか地図あんのにこの程度の道間違えるとかマジでなんなわけ?よくそれで一人旅しようと思ったよね。全くこれだからゆとり世代は。」

とホステルのお兄さんに言っていたに違いない。

恥ずかしいやら何やら。

車を降り、記念の意も込めて持っていた日本の小銭を渡そうとしたものの、断られてしまった。

お金をもらうようなことじゃないよ、と言っているようだった。

サマルカンドに到着早々、何千年も続くこの土地の人々の旅人に対するホスピタリティを体感したのであった。

ホステル

ホステルに着くと、そこには私と同じ顔をした人が立っていた。

誇張ではない。

本当に私と同じ顔をしていたのだ(誇張)

ウズベキスタンに入国してからというもの、もろ旅人感満載で歩き回っていたのだが、何回か明らかに地元民から道を聞かれることがあった。

タシケントSimカードを買いに行ったときも、窓口で当初外国人旅行者向けのパッケージではなく、地元民が普通に使うパッケージを勧められたこともあった(一言しゃべった瞬間外国人だとバレたためすぐに誤解は解けたが)

私はどうやらウズベキスタンで現地と同化できるタイプの顔らしい。

そんな私と全く同じ顔をした男性と言うのが、先ほど車で送ってくれた男性と電話で話していたホステルの管理人であるようだ。

彼はとてもフレンドリーだった。

こんな単純な道で、迷ってしまったドアホな私を哀れに思ったからか、はたまた、顔が異常にそっくりだったからか、それともシーズンがオフでほとんど泊まっている人がいなかったからなのか、私のことを良く気にかけてくれた。

昼間の観光を終え、夕方に宿に戻ると、お茶はいるか、部屋は大丈夫か、スイカは食べるか、などと声をかけてくれた。

年齢も近く、顔もやたら似ている彼はもっと英語の勉強がしたいと言っていた。

私に積極的に話しかけているのも英語の勉強の一環なのだという。

私はサマルカンド三泊する予定であった。

滞在二日目の夜である。

その時期、レギスタン広場では毎夜イベントが開催されていた。

カラフルな電飾と、舞踊を組み合わせた壮大なパフォーマンスが爆音で行われていたのだ。

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画像からは伝わらないが、かなりのギラギラ系電飾と、とんでもない爆音でレギスタン広場周辺は歌舞伎町にも負けず劣らず輝いていた。

私が宿泊していたホステルにも当然その音や光は届いており、サマルカンド滞在二日目の夜、私はレギスタン広場前へと繰り出すことにしたのであった。

夜に知らない異国の地で出歩くというのは、なかなか緊張するものだが、ウズベキスタン、特にサマルカンドのレギスタン広場周辺では、人通りも多く、観光客が夜中までうろうろしているためそこまで危険性を感じることはなかった。

おじさん登場

レギスタン広場へ向かう道すがらである。

おじさんにウズベク語で声をかけられた。

相変わらず、現地人だと思われているのか何やらべらべらとおじさんに話しかけられてしまった。

全く言っていることがわからないのでぽかんとした顔をしていると、

「ツーリスト??ツーリスト?」

とおじさんがおもむろに話しかけてくる。

あぁ、めんどくさい人につかまってしまった。

正直そう感じていた。

レギスタン広場周辺では観光客をターゲットにしたさまざまなビジネスが行われている。

気が付いたらタクシーでぼったくりツアーを組まされていたり、変なレストランに連れていかれたり、基本的に治安は極めて良いと感じた一方で、観光地にありがちなトラブルはサマルカンドにもしっかりと存在しているようであった。

おじさんはなおも私に話しかけ続ける。

私は適当な言い訳を考えて、おじさんの元を去りたいと思っていた。

そこで、「スーパーに水を買いに行かなければならない。」

とグーグル翻訳を使っておじさんに伝え、そそくさとスーパーの方へと歩き出そうとしたのであった。

しかし、おじさんは引き下がらず、近所のスーパーまで私を連れて行ってくれた。

おじさんは私が水を買うのを見届けたあと、おもむろに私のスマホでグーグル翻訳を使い始めた。

「明日、山に行きましょう」

え?

いやいやいや、怖すぎるやろ。

知らないおじさんに、知らない街で急に「明日、山に行きましょう」と言われたらあなたはどうするだろうか?

「博物館」とか「動物園」ならまだしも「山」である。

おじさんは「車で連れていく」とか言ってくるのだが、そういう問題ではない。

知らない人のクルマにのっちゃダメってママに言われたんだけどな....

山に連れていかれたら最後、身ぐるみはがされたうえで、口封じのため殺害、遺体はサマルカンドの大地に消えていくことに...などと想像は止まらない。

もちろんこのおじさんがそこまでの極悪人かどうかは分からない。

しかし、普通に考えて、夜中に道を歩いていていきなり出会ったおじさんと山に行くのはあまり賢明な動きとは思えない。

何とか断らなければ...そう思った私の解決策はこうだ。

「ごめんなさい、明日の朝電車でサマルカンドを発つのです。」

必死に考えた嘘だ。

翌日だってサマルカンドに泊まって観光する気はマンマンだったが、とりあえずこう言っておけばおじさんとてもう私を誘うことは出来ないであろう。

なんだか少し寂しそうな顔をしたおじさんであったが、何とかおじさんのオファーを断ることが出来た。

さて、本命のレギスタン広場でのパフォーマンスを見に行くか、と思い、レギスタン広場の方へ歩こうとする。

なぜかおじさんは一緒についてくる。

むげに振り払うのも、なんだか悪い気もするし、レギスタン広場はほぼ目の前だ。

何となく距離を取ったつもりであったものの、ものの一分もしないうちにおじさんとレギスタン広場に到着する。

おじさんは、レギスタン広場に着くと、そこに集まる人々にどんどんと声をかけていった。

よくわからないが、おじさんは近所に住んでいるらしく、レギスタン広場に集まっている近所の人々に声をかけているようであった。

なぜか私のことを笑顔で指さしながら「ツーリスト、ツーリスト」とそのご近所の人たちにも紹介していた。

この時点で、おじさんが「山に行きましょう」といったオファーは、シンプルにツーリストを珍しい所に連れて行こうという親切心からのものであったように感じるようになってきた。

そして、とどめを刺すような出来事が。

なんと広場にホステルの兄さんが現れたのである。

そして、おじさんと何やら親しげに会話をしているではないか。

ホステルの兄さんが私に言った。

「この人を知っているのかい?この人は私の友達だよ。」

苦笑いしかできない。

おじさん、、、あまりに怪しすぎるから完全に疑ってしまっていたのだが、あなたはサマルカンドの優しい地元民の一人であったのですね....。

おじさんはまだ何やらホステルの兄さんに話をしている。

ホステルの兄さんは言った。

「この人は君と一緒に山に行こうとしていたんだけど、君は明日サマルカンドを発ってしまうんだね。」

絶体絶命である。

何が絶体絶命であるかというと、

おじさんに私は翌日の朝サマルカンドを発つと嘘を言ってしまった。

しかし、ホステルの兄さんは私がまぎれもなく宿泊しているホステルの管理人であり、私が翌日もサマルカンドにいる予定であるということを、分かっていないはずがないのである。

優しさのためについた嘘が、今目の前で壮大な矛盾を生み出し、私はサマルカンドNo.1の大嘘ツキ男となってしまったのである。

しかし、そこで奇跡が。

レギスタン広場でのパフォーマンスが程よく盛り上がり、話をしている場合ではなくなったのである。

あまりの爆音に、私たち三人は会話を継続することが出来なくなった。

ホステルの兄さんは友達と待ち合わせをしていたらしく、私たちに手を振るとどこかへと去っていた。

おじさんと二人残された私は、その後パフォーマンスの写真やビデオをひとしきり撮り、宿へと戻ることにした。

なんだかまた寂しそうな顔をしていたおじさんであったが、私が寝るジェスチャーを繰り返すと、分かったというように頷き、手を振って別れの挨拶をしてきた。

翌朝のことである。

朝食を取ろうとホステルの下階へと降りるところであった。

ちょうどフロントにいるホステルの兄さんと出会った。

彼が一言、

「今日、君は出発するんだよね?これが君のレギストラーツィアだよ」

そして今日までの日付がしっかりと記入されたレギストラーツィアを私に手渡してきた。

レギストラーツィアとはそもそも何かというと、ウズベキスタンでは、外国人にホテルやホステルが発行する「滞在登録」証の携帯を義務付けているのである。

これは旧ソ連時代から続く慣行である。

平たく言うと、「何年何月何日に、この外国人は〇〇市の○○ホテルに泊まっていた」という証明書を宿泊先で発行させ、外国人が出国するときに、その証明書提出を義務付けることで、ウズベキスタン政府が、外国人のウズベキスタン国内での動向をチェックできるようにするという極めて迷惑なシステムである。

そしてサマルカンドNo.1の嘘ツキ男である私には、今日までの日付のレギストラーツィアが手渡されたのであった...。

つまり、昨日の夜、ホステルの兄さんには嘘はバレていなかった。

兄さんとて、一人一人の細かな宿泊予定など覚えているわけではなかったのだ。

しかし、兄さんも勘違いをしてしまい、私が今日サマルカンドを発つ予定だという前提でしっかりと私のチェックアウト準備を進めてくれたのであった。

完全にミスった...。

おそるおそるホステルの兄さんに言う。

「実は、昨日の夜勘違いしてて、、、今日じゃなくて明日出発だったんだよね...。最近疲れてて何日の何曜日か分からなくなっちゃってねハハハ....。」

またも嘘をついてしまった。

嘘をカバーするために嘘をつく。

なんてったって、私はサマルカンドNo.1の嘘ツキ男だ。

兄さんはこともなげに

「そうだったっけね。じゃあ新しいレギストラーツィアは明日渡すね。」

一件落着...である。

正直、サマルカンドの人々の優しさを舐めていた。

観光地で、スレた感じの人ばかりと思っていた。

しかし、一番スレていたのは紛れもなく自分の心。

そもそもあのおじさんは、ホステルの兄さんと間違えて顔がやたら似ている私に声をかけてきたのかもしれない。

そして私が旅行者だと判明すると、気を利かせて何か面白い所へ連れて行ってやろうと考えただけだったのかもしれない。

なんだか自分で自分が恥ずかしくなってしまった。

名実ともにNo.1嘘ツキ男の座を得た私は、無駄な背徳感と共に青の都を後にしたのであった....。

 

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青の都は、稀代の嘘ツキ男も優しく受け入れてくれたのであった...。

 

 

※結果的に大丈夫であったとはいえ、海外で知らない人についていくのは一般的にはやめた方がいいと思います。