いってみた、やってみた

いってみた、やってみた

へなちょこ男が世界に挑む奮闘記(そして負けます)

ブリスベンの青空に思う

それは突然だった。

オーストラリアからメッセージが来た。

Call me.

ただならぬ気配がした。

それは遡ること3年も前になる。

私が大学院を休学していた時期のことであった。

大学院まで来たはいいものの自分のやりたいこととあまりにかけ離れたその内容、さらに私生活でのトラブルが重なって、すべてがうまく行かない時期だった。

次第に追い詰められしまいには精神、身体ともに限界、訳もなく泣いたり、不眠になったりしていった。

そこで大学院を休学することになったのだ。
大学院を休学したところで、正直気分が晴れたわけではない。むしろ同級生が着々と社会人生活に慣れていくのを横目に見ながら、"ほぼニート"となった私は焦りと情けなさとで余計辛い日々を過ごしていた。

そんなとき、ふと思い立って、かつてインストールしていた語学交流アプリを開いた。

語学交流アプリは、さまざまな国の人が自分の知っている言葉を教え合いながら相互に交流を行うことができる。平たく言えば'出会い系'のようなものだが、あくまで目的は語学交流だ。

以前そのアプリを使ったとき、様々な国の人と交流できたのがとても新鮮で楽しかったことをふと思い出したのだった。
"ほぼニート"になってしまった私は恥ずかしさもあって友人ともなかなか連絡が取れずにいた。
海外の人、さらに新たに知り合う人であれば私のこともすんなり受け入れてくれるのではないか、などという考えがあった。

そんな折、あるメッセージが届いた。

Hey. How are you?
We are currently in Japan.
Up for a drink?

日本を旅しているというオーストラリア人の男性からだった。
彼は兄と一緒に東京にいるのだが、あまり日本語もわからず見るべきところもわからないので少し退屈しているとのことだった。

一通目のメッセージで飲みに行こうなどと誘ってくるパターンは初めてで新鮮であった。しかも語学交流というよりはガイド探しのような印象も受けた。

しかし、学校に行くわけでもなく無気力で家から出ることもなかった私にとっては久々の"飲み"への誘いである。

相手が変な人だったらどうしようという思いも正直あったが、彼らにとって日本はアウェーであるし、何かあったら私のほうが土地勘を活かして逃げられるはずだ。

暇でしょうがないということもあったし、わずか数メッセージを交わした後、ものは試しと彼らと会うことを決めたのであった。

カフェで会った彼らは想像以上にフレンドリーで、驚くべきことにすぐに意気投合した。

彼らは大人になっても兄弟で旅行するのは変だと言われると笑っていたが、私も姉と旅行を何度もしたことがあると伝えると嬉しそうにうなずいていた。

さらに、大学院を休学しているという話をしたところ、"いいじゃないか" "またやりたいことでも探してみればどうか"と励ましてくれた。

私にとってはこれが何よりも嬉しかった。
自分の取った選択肢を肯定してくれる人がいるというだけで当時の私がどれほど救われたか表現できない。

カフェでの会話はあっという間に数時間に及んでいた。

その後居酒屋へ移動し、私たちは止まることなく酒を飲みかわしたのであった。

"時間があるなら明日、東京をガイドしてくれないか?"
そう言われるやいなや、"もちろん"と私は答えていた。

翌日は銀座や新宿など王道の名所をめぐり私が考え得る限りの東京観光を行った。どこで何をするにも彼らが支払いをしてくれた。悪いと思って払おうとすると、まだ若いのだから大丈夫といなされた。

まだ閉鎖前であった築地市場の店で夕食を食べたあと、彼らがスマホの画面を指差した。
"ここに行きたいんだ"
それはクラブの名前であった。

私はクラブなど入ったこともないし、なんだか怖いイメージもあった。
しかし、終日奢ってもらっていることもあるし、最後で突然案内を止めるのもおかしいと感じ、クラブに行くことになった。

私の人生初のクラブ体験はこうしてかなり予想外の形で実現することになったのだ。

彼らはいわゆるEDMのファンで、各地のクラブを回ることを楽しみとしていると言っていた。兄弟で旅行するのも共通の趣味であるクラブを目的としていたようであった。

初めてのクラブは刺激的で、興味深かった。爆音と揺れ動く群衆、日本にいるのに自分の全く知らない世界に飛び込んだようで何とも言えない恍惚感があった。

気がつくと明け方になっていた。
自分の殻を一つ破れた気がしてとても満足感があった。

その後、京都へ向かうという彼らと別れ、彼らの日本滞在最終日東京で再び会う約束をした。

京都から戻ってきた彼らに、外国人に人気だという鶴と亀の水引をつけた地元の菓子折りを手渡し、ふたたびカフェで他愛もない会話を楽しんだ後、成田へと旅立つ様子を見送った。

たった数日のことなのに、彼らは非常に深い印象を残した。

それは彼らが本当に人生を楽しんでいるように見えたからである。大学院を休学しくすぶっていて、何をやってもネガティブに考えてしまっていた当時の自分には彼らがあまりに輝いて見えたのだ。

その時、新たな大学院を受験しようという意欲が湧いたのであった。

彼らがオーストラリアに戻ってもチャットを通じて連絡は続き、ぜひブリスベンに来てほしいと度々言われるようになった。

新しい大学院に受かったらブリスベンに行く。

自分の人生を変える決断の先には"ブリスベンに行く"という目標ができていた。

それから数カ月はあまりに怒涛の勢いで進んでいった。筆記試験対策、論文作成、口述試験準備、毎日が大変ながらも充実していた。自分でも自分のことが信じられないくらいモチベーションにあふれていた。

語学交流アプリで出会った旅行者からここまでの影響を受けるなどということがあり得るのだろうか。全てが奇妙で、それでいて何か運命を感じさせるようなそんな魔法のような日々であった。

春、私はブリスベン行きの航空機に搭乗していた。

あまりにできすぎである。
秋口まで全てを諦めていたほぼニートが、新たな大学院に合格したのである、それもスマホアプリでの何気ない出会いのおかげで。

ブリスベン空港で数カ月ぶりにあう彼らは笑顔で私を迎えてくれた。
寛大なことに兄が家に泊まらせてくれるとのことであった。
"アプリで知り合っただけの人々"と言ってしまえばそれまでである。そんな人達を信用して、海外で宿泊するなどというのは今思っても少しクレイジーな気がする。
しかし、私はこの"アプリで知り合っただけの人々"に身を委ねることにしたのだ。
無事、兄の家に到着すると、渡した菓子折りにつけていた水引の鶴と亀が丁寧に飾ってあった。
嬉しくなって、これは長寿を意味するのだと伝えると興味深そうに聞いていた。

ブリスベンでの日々は自分の殻を一つ、また一つ、と破っていく新体験の日々であった。

オーストラリアの突き抜けるような青空。
こんな青空のもとで暮らしるからこそ人生を楽しもうという気持ちが満ち溢れてくるのだろうか、などと考えた。
仕事があるにも関わらず彼らは折々に時間を見ては、別々に、時には二人揃ってブリスベン市内や郊外の様々な所を案内してくれた。
もちろん、クラブにも連れて行ってくれ、ブリスベンにて私は海外クラブデビューを果たすこととなった。
数ヶ月前の自分からは想像もできない、偶然から始まったすべてが新鮮な人間関係。
こんなに不思議なことはあるのだろうか。そう考えずにはいられなかった。

休日に彼らが連れて行ってくれたブリスベン郊外の山から見渡したオーストラリアの大空と大地は圧巻であった。

f:id:ktravelgo:20200214015950j:plain
雲の合間にのぞく真っ青な空。光と希望に満ち溢れた空。


こんなことはふたたび自分の人生で起きるのだろうか。
たぶん、ない。
こんなにラッキーなことは人生でよくあるものだろうか。
たぶん、ない。

そんなことを考えていると、すべてが危ういバランスのもとで、しかし完璧なバランスのもとで動いていたような気がして、涙が止まらなくなった。

何故か急に泣き出した私を、彼らは静かに見守っていた。

See you again. Very soon.

ブリスベンを去るときに二人から言われた言葉である。

絶対にまた会おう。
深く心に誓ってブリスベンを後にしたのであった。
帰国後は連日のようにチャットをしていたが、徐々に落ち着き、ここしばらくは数カ月に一度近況を報告し合う程度になっていた。

あのブリスベン旅行から早くも2年か....

気づけば就活も終わり大学院も卒業である。

こんな折であるし、もうそろそろ久しぶりに彼らにチャットメッセージを送ろうかなと考えていた矢先であった。

Call me.
それは弟からであった。

真夜中だったのでテキストメッセージを送信して眠りについた。
翌朝、メッセージが届いていた。
My brother passed away.

すぐに目が覚めた。
夢ではないかと疑った。

しかし、これは現実であった。
電話を入れ、憔悴しきった弟と話をした。
事故にあったそうだ。

私の人生を変えてくれた彼らには感謝しかない。
あの偶然の出会いを縁と言わずしてなんというべきであろうか。

もっと感謝の思いを伝えることができたら良かったと思うばかりである。
兄との再会は叶わぬ夢になってしまったが、私はいつか必ずブリスベンに行きたいと思う。
あの青空の先に彼がいると信じているから。