いってみた、やってみた

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へなちょこ男が世界に挑む奮闘記(そして負けます)

私立中学で不登校になった話(2)

ktravelgo.hatenablog.com

サッカーの事件から早くも一か月が経っていた。

学校に行かない生活は、苦難の連続であった。

まず、近所の目が辛い。

外に気晴らしに出かけようとしても、近所の人から「今日は学校お休み?」などと聞かれた日には頭は真っ白、その日一日中気分は真っ暗である。

それに、学校のカリキュラムから離れると驚くほど勉強もはかどらない。

数学や理科なんてもとからモチベーションが低かったが、まして家でやろうとする気もなかなかおきない。

家に電話がかかってくるたびに、学校から何かの知らせがあるのではないか、とびくびくする日々。

学校の束縛から離れたいと思って登校するのをやめたのにもかかわらず、頭の中は学校のことでいっぱいであった。

そんな生活の中でも唯一楽しいと思えたことがある。

インターネットだ。

家から出るのもおっくう、しかし自分の意識を学校ではないどこか遠くへ持っていきたい、そんな風に考えた私はインターネットにのめりこんでいった。

引きこもりとインターネットとの相性は切っても切れない関係にあるといえる。

外の世界に出なくとも外の世界の状況を知ることが出来るツールを利用しない手はないのだ。

私は、当時家にあったオンボロノートパソコンを引っ張り出し、それをほぼ自分のものとしながら連日インターネットにいそしんでいた。

インターネットでやることといえば、朝から晩まで動画サイトに入り浸ったり、まとめサイトを見てみたり、生産性のかけらもないことばかりであった。

ある日のことである。

動画サイトでおすすめの動画にアメリカのコンテンツが登場したことがあった。

何気なく見てみると、何を言っているかさっぱりわからない。

さっぱりわからないのに、人々は笑っている。

なんだか無性に悔しくなった。

英語は私が最もコンプレックスを感じている分野であった。

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だからこそ、英語が全然わからないという状況に人一倍悔しさを覚えたのだ。

こんな風にインターネットをやればやるほど、英語の情報源がどれほど広大であるかを思い知らされていくようになっていった。

気が付くと

インターネットで確認するのは英語のコンテンツばかりに。

勉強はまったく手を付ける気が起きなかったものの、英語だけはやる気があふれていた。

次第に、ただ勉強するだけではつまらないと感じるようになり、英語のチャットサイトに入り浸るようになっていった。

英語のチャットサイトとは、ランダムに世界中にいる相手とつながり、チャットを楽しむというサイトのことである。

現在は残念ながらそういったサイトのほとんどがアダルト系の要素満点になっているが、当時はウェブカメラの普及等も少なかったことがあり、文字だけのチャットも十分流行していた。

チャットサイトでは世界中の人と会話を楽しむことが出来る。

しかもチャットではレスポンスが早くないと会話が成立しない。

文法がこうなって、単語をこの順番で並べて、、などと考えているうちにチャットは進行してしまうのだ。

このプレッシャーが私の英語力を飛躍的に伸ばした。

チャットしている時だけは自分が外の世界とつながっていられる気がしていた。

英語は世界とつながるツールだと痛感するようになった。

もはや、英語に関しては学校に行っているよりはるかに自分で学習することが出来ていた自信があった。

すると、英語だけではなく、気が付くと他の教科も自習で十分はかどっているということに気が付いた。

集団授業では何となく話を聞いて何となくうとうととして、何となくテストを受けて、の繰り返しであったが、自習する限りでは自分でわかるまで考えるからだ。

それに、周りの生徒との人間関係に悩むこともなくなったため自分のなかで勉強や趣味にリソースを割くことができるようになったのだ。

私は不登校に賛成である。

精神や身体に害が及ぶ危険性を負ってまで、学校から得られることはそこまでないのではないかと思うからである。

特に、生徒によっては学校と離れた状態で生活することで、能力を伸ばすことができる可能性もあるのではないかと感じる。

見違えて生活にハリがでてきたようにも思えるが、不登校最後の難関が訪れようとしていた。

それは、「復帰」である。

私の中高一貫校では、高校には基本的に誰でも進学できることになっていた。

しかし、このままずるずると欠席日数が伸びてくると、高校に入った後はなかなか進級等を認めるのは厳しいという通知を受けた。

ついに、復帰を検討するときが来てしまったのだ。

私を「からかって」きた奴らとの対峙、そしてほぼ一年にわたる授業未履修のブランク、大学受験のプレッシャー、戦わなければならないことは山ほどあったのである。