私立中学で不登校になった話(1)
不登校は甘えか?
不登校と聞いてどんなイメージを持つだろうか。
最近は、小学生youtuberまで出てくるようになり、不登校というものが選択肢の一つとして考えられるようになっているのではないかとも思う。
私自身、私立中高一貫校の中学校3年生課程をほぼ一年間投稿しなかったいわゆる不登校であった。
不登校は甘えである、とよく言われる。
結論から言うと、不登校は甘えではないと私は考える。
とくに、中学校や高校時代といった多感な時期はただでさえ心や体のバランスが乱れがちである。
そこに、友達関係の悩みや部活、受験といったさまざまなプレッシャーが一気に押し寄せてくるのだから学校に嫌気がさすことはある意味当然ともいえる。
しかしほとんどの人は、辛い、嫌だと思いながらも学校に通えてしまう。
不登校になる人はいったい何が違うのか?
不登校になる人というのは甘えているのではなく、決死の覚悟で学校に行かないというチョイスを選んでいるむしろ挑戦者であると思う。
学校に行って、大方の人と同じように過ごすというチョイスをした方が楽な中で、あえて人とずれたことをする、大変な道を選ぶという点では不登校はむしろ甘えの対極にあるのではないだろうか。
私が不登校になるまで
私はいわゆる進学校に通っていた。
学校での教育は受験を常に意識したもので、中学校の段階から大学受験、大学受験とお題目のように唱えられていた。
そんな学校生活では楽しみを見出すことも少なく、生徒同士の関係性もなんだかピリピリとしていたように感じていた。
ある日のことである、クラスの中心的グループが私の方を見て笑っているのに気づいた。
最初はどうでもいいことだろうと無視していたのだが、次第に私が明確なターゲットとなって「からかい」が発生していることに気づいた。
未だに理由はわからない。
私にも少なくはあったが友人はいたし、とりたてて中心グループにたてつくようなことをした覚えはない。
しかし、何となく従順そうで気弱な感じの私をターゲットとすれば、たいして面白くもない学校生活に何か新たな刺激が得られると彼らは思ったのかもしれない。
「からかい」は次第に明確な「いじめ」へと変化した。
ロッカーが荒らされたり、歩いているだけで指をさされて笑われたり、ただでさえ目立つのが苦手な私にとって、こういった行為は恐怖以外の何物でもなかった。
学校に行くと食欲も落ち、朝目覚めるのも苦痛になっていった。
意味もなく泣いたり、通学時にはバスに轢かれる妄想が止まらなくなっていった。
「この程度の」からかいで、と思うかもしれない。
しかし、本人がどう受け止めるかは個人によって大きな差がある。
いじめを受けて自殺する子供の気持ちがわからないというコメントを以前目にしたが、外から見たら「この程度」であっても本人、特に子供にとっては往々にしてこういった問題は生死を賭けるような出来事なのである。
登校するのをやめようと決意した日
そんな苦しみが続いていた日のことである。
体育の授業で、グループに分かれてサッカーをすることになった。
そのころには私は完全に「のけ者」となっており、どのグループも私を受け入れようとはしなかった。
私が一人、どのグループにも入れていないことを知ってか知らずか、体育の教師が一言、「じゃあ、全員決まったことだし試合始めようか!」。
私の心は完全に折れた。
気が付くと過呼吸で保健室に運ばれていた。
その瞬間であった。
「学校行くのやめよう」と私は決意したのであった。
学校行くのをやめようと決意したはいいものの、そんなこと家族がすぐに受け入れられるはずはない。
私が、学校に行くことを辛いと感じていたことは、食事量の減少や目覚めの悪さなどから感じ取っていたようだが、まさか不登校となるとは思ってもみなかったようである。
さらに勉強のスピードが速い私立中高一貫校で長期に休めば、学校の勉強についていくことが不可能となり卒業すら危うくなるのではないかという懸念もあった。
しかし、私は頑固だった。
もう二度とあんな思いをしたくないという強い願いから必死に家族を説得した。
結局、家族が私の説明で完全に納得したわけではなかったのだが、ずるずると学校へ行かない日が積み重なり、私は正式に不登校となったのであった。
不登校を始めて本当につらかった時期に何回も繰り返して読んでいた。さまざまな著者による短編集だが、どの話も不思議なおかしみと前向きになれるメッセージが詰まっていた。人生の一冊。