いってみた、やってみた

いってみた、やってみた

へなちょこ男が世界に挑む奮闘記(そして負けます)

ブハラのハラ

砂漠の古都

殺人的な太陽光が私の皮膚を突き刺す。

流れ出る汗すらすぐに乾いてしまうような圧倒的な熱気。

私は、ウズベキスタンの古都ブハラに到着した。

駅から街の中心に向かう車窓から見えるのは灼熱の砂漠。砂煙

ブハラはまさに砂漠のオアシスであった。

それはまるで街全体に茶色の塵のフィルターがかかっているかのような雰囲気であった。

これぞまさに私が想像していた「大陸」の姿である。

ウズベキスタンの大地、そのほぼ中心に位置するブハラは、シルクロードの要衝として栄えてきたオアシス都市である。

その前に訪れたサマルカンドも素晴らしかったものの、意外と大都会であるという点に少し拍子抜けしていたため、ブハラのようなより「リアル」な雰囲気のオアシス都市に私の心はワクワクしていた。

しかし、心の高まりと反比例するように、体は不調を訴えていたのであった。

腹痛

思えば、なぜサラダなんて頼んでしまったのだろうか。

ブハラ以前に滞在していたサマルカンドでのことだった。

肉と炭水化物の山盛り料理の繰り返しに辟易していた私は、サラダを注文した。

ウズベキスタンのレストランで料理を注文すると、だいたいは肉、そしてナンの王道セットになってしまう。

味は美味しいのだが、なかなか野菜が食べられないので困っていたのだ。

外国で生ものを頼むなんて非常識じゃないか、自分でもそう思った。

しかしすでに滞在一週間目を迎えようとしていたころ、今まで下さなかったのだからどうにかなるだろうという油断があった。

サマルカンド滞在中は特に何も感じなかったのだが、ブハラへ向かう電車に乗ったあたりから腹のあたりが無性に気持ちが悪くなってきていた。

ブハラに到着すると、痛みが激しくなっており、私は宿に到着早々トイレで盛大に下してしまった。

生ものは、サマルカンドで食べたサラダ以外思い当たる節がない。

私は、サラダにやられてしまったのだ。

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明確に肉と炭水化物を避ける意思が伝わる夕食。左下のサラダが戦犯である。

一歩進むごとに腹痛である。

冗談ではないくらい痛むが、何とか観光に出かけようと外へ出る。

ただでさえ気候が苛烈な砂漠地帯、太陽は容赦なく私の体力を奪っていく。

宿のロケーションも今思うと失敗であった。

住宅街の一本道をひたすら20分ほど歩かない限り、中心部には到着しない。

これは何を意味するか。

宿を一歩出てしまうと、次のトイレまで20分我慢し続けなけらばならないのだ。

この時の私の状況と言えば、耐えず腹痛に襲われ、数分に一回は漏らしてしまいそうな波が来るというまさに世紀末。

どう考えても観光などしている場合ではないのだが、そこは若さゆえの過ち。

フラフラとゾンビのような姿でただ歩き続けたのであった。

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中心部に存在するフッジャ・ナスレッディン像。ひょうきんな性格で人気を博した神学者だそうだ。像のユーモラスな姿は私の修羅場などまったく意に介さないようであった。

追い打ち

私はまさに虫の息でフラフラと中心街をさまよっていた。

レストランでものを食べる気力など湧くはずもなく、公衆トイレを見つけては入り、トイレ目的で博物館に入ったり、カフェに立ち寄ったり、思考の全てが腹痛に支配されていた。

そんな時であった、地元風の男性集団に声をかけられた。

 「あqwせdrftgyふじこp;????」

何を言っているか全くわからない。

何を言っているか全くわからないこと自体はウズベキスタンに来てからも何千回か経験していたのでいいのだが、どうやら彼らは私に何かを訪ねているようだ。

すると彼らが急に「こーりあー?」「ちゃーいなー?」と確認を始めた。

私が「ジャパン」と答えるとたいそう満足げに微笑み私の体をガッとつかんだ。

相手は屈強な男性四人。

腹は相変わらず限界だったが、彼らがついてこいと言うのでとぼとぼと歩いて行ったのであった。

カラカルパクスタン

ほぼ通じ合わない会話であったものの、どうやら男性たち自身も旅行者であったようであることは分かった。

彼らはウズベキスタン人であるものの、カラカルパクスタン共和国という少し自治制の高く独自の言語や文化を持つ地域からブハラへと旅行しに来たようであった。

道行くウズベキスタン人に「俺たちはカラカルパクスタンから来たんだ!!」と主張しまくっており、現地のウズベキスタン人からも驚かれていた。

彼らについていくと城壁にたどりついた。

相変わらず腹の具合は限界だったものの彼らがなかなかにフレンドリーで全く離してくれない。

チケットはウズベキスタン人と外国人とで料金が違うようであったが、彼らと一緒に入場したところなぜかチケットの確認すらされなかった。

彼らは英語を介さないし、私もウズベク語は分からない。

しかし、なんだか一緒にいてとても面白いのである。

やんちゃというか無邪気というか、(無謀というか)、規制線が張られたところにもズンズン入っていってしまうし、お土産物の帽子をかぶったままどこかに行こうとするし、「いい大人」である年齢でも自由ではつらつとしている彼らの姿になんだか無性に親しみを覚えたのである。

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ズンズンと遺跡を突き進むカラカルパクスタンチーム。夕日に照らされて渋さが増している。

世界は広い

こんなに短い出会いでこんなに感傷的になるのもナイーブだと自分でも思う。

しかし、もし自分がカラカルパクスタンに生まれていたらどんな人生を歩んでいたのだろうか・・・などという想像が止まらなくなった。

彼らのうちでスマホを持っているのは一人。

日本ではもう見ないような古さのガラケーを持っているのがもう一人。

かたや、学生の分際でアルバイト代でスマホはおろか、ウズベキスタン旅行費を捻出できている自分。

でも心に何となく余裕がないのは自分。

何をしても楽しそうに笑っているのは彼ら。

不思議なものである。

ひとしきりブハラの名所を一緒に回ったあと、小さな商店に寄った。

店を出た彼らが手にしていたのは5本分のジュース。

もちろん1本は私にくれた。

野暮だと思いながらお金を渡そうとしても絶対に受け取らない。

ジュースは甘すぎるくらい甘かったけれど、とても美味しかった。

彼らはこの後、カラカルパクスタンに戻らなくてはならないようで、出発のため宿に戻ると言っていた。

あっという間の数時間であったが、強く心に残る出会いとなった。

旅とは出会いと別れの繰り返しである。

彼らと会うことは二度とないかもしれない。

しかし、思い出はずっと残っていくのである。

ブハラの思い出は、彼らの笑顔と共に心に刻まれたのであった。

 

 

 

あああああぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!

彼らにもらったジュースを飲み終えて感傷に浸っていたところであった。

彼らと一緒に行動しているうちに何となく意識の外にあったアレである。

そう、腹痛。

ついにやってしまった。

涙目で有料トイレに駆け込みながらパンツを脱ぎ捨てた。

ブハラの思い出は(茶色いフィルターがかかりながらも)彼らの笑顔と共に心に刻まれたのであった。