いってみた、やってみた

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へなちょこ男が世界に挑む奮闘記(そして負けます)

個人的に就活でつらかったことランキング

就活はつらい。

その一言に尽きる。

突然就活生は今までの人生を商品として売り出し、企業に買ってもらうことを求められるのである。
できるだけ完璧な商品、キラキラと輝く商品として認められるために就活生は日々気をもんでいるのである。
私も就活を経験したが、それはそれはつらいことだらけであった。
そんな私が就活をする中でとくにつらかったできごとをトップ3として紹介しよう。

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企業による信仰の表明。美しい祈りの数々である。しかし一番下の心苦しく思いますが、何卒ご了承くださいとは何なのか。ゴタゴタ言わずにシンプルに祈れや。

1.中退経験について深堀り

何を隠そう私はとある大学院を中退している。

現在は別の大学院にいるのだが、まあこの部分に興味を持つ企業の多いこと、多いこと。
なぜやめたのですか、程度であればまだいいのだが、そこを続けていれば良かったんじゃないですか?あなたは何でもすぐやめる人なのですか?そもそもなんで一つ目の大学院に入るときにもっと考えなかったのですか?等々ひたすら詰められた日にはもう就活をやめたくなった。
もちろん、中退経験というのは履歴書の中でも目を引く部分ではあると思う。
そこの部分について質問があるのはしょうがないと思う。
一方で、1つ目の大学院でミスマッチを起こしたという"失敗経験"について永久に質問を続け、その"失敗"を責め続けるような聞き方をしてくる企業が少なからずあった。
私は言いたい。
お前らは人生の一挙手一投足すべて完全に理解、把握した上で行動しているのか?と。
自分の人生のチョイスを完璧に選んできた自信があるという人に私の未熟さを指摘されるならまだわかる。
しかし、そんな人はこの世にほぼ存在しないだろう。
未熟ゆえに見誤ったという経験を踏まえ、現在は新たな気持ちで頑張っているつもりだったのだが、一度でも失敗したら"傷物"であるかのような扱いをしてくる企業に対しては怒りを通り越して失望すら覚えたのであった。

2.他の就活生との交流

ただでさえつらい就活を余計につらくしてくるのは他の就活生との出会いであった。

説明会やインターンなどで出会う就活生の中には、私のエネルギーレベルでは到底対応することができないような激しい人材がいた。
私は、商社でバリバリ働くことにしか興味がないと豪語した就活生に就活状況を聞かれ、鼻で笑われたり、インターンでのグループワークでコンサル志望の就活生にすべて意見をガン無視されたりとなかなか惨めな思いをした。
私があらためて思ったのは、そこまで年齢の差がない就活生という若者の間ですら、人生のバリューや物事の捉え方に決定的な違いがあるということだ。
働き方改革などという言葉はクソくらえ、死ぬほどバリバリ働きたいという思いを持っているという就活生もいた。
他の就活生と話をしたり接したりする中で、私は、自分の知っている世界があまりに狭く、偏ったものであるかを突きつけられたのであった。
そして、女子にモテるだとか、合コンは何回だとか、更にはここには書けないような下世話な質問を投げかける就活生も見かけた。
そういった質問は目立つためのアピールなのかもしれない。企業によってはそういった"ぶっ飛んだ"性格を評価するとも聞いた。
しかし、私は公の場でそういった態度を表明する行為、またそれを面白いと感じるような価値観には賛同できなかった。
堂々と"ぶっ飛んだ"アピールに勤しむ他の就活生を見て、就活に対する反感が高まったのは確かである。

3.信仰の対象となる

言わずもがな、お祈りメールである。

もはや祈られすぎて、自分が信仰の対象となってきているように思えてしまった。
企業がこれほど私に祈ってくれるのであれば、企業を対象に私が教祖となって新たな宗教を始めるべきではないかとも思えてくる。
しかし、祈ってくる企業はまだマシである。
世の中にはサイレントお祈りというものが存在する。
サイレントでも信仰してくれるのなら良いのだが、サイレントとはむしろ、大したことなかったけどとりあえず二軍としてキープして辞退者が出たらそこから引っ張り出すための要因or連絡するほどの価値もないような不合格かのどちらかを表している。
サイレントのため、就活生は来もしない連絡を、片思いの人に告白した後のようにやきもきして待ち続けることとなる。
平たく言って、こういうことをする企業というのは就活生含め人間を舐めていると思う。
サイレントのように一人ひとりの就活生に寄り添わない態度というのは、労働者は代替可能でいくらでもお前の代わりはいるのだと表明することにほかならないのではないだろうか。
そもそも就活を通じて、企業の力というものが圧倒的であることを痛感させられ続けた。
労働者は労務を提供する立場、企業はそれに対価を支払う立場で対等であるなどという話は机上の空論もいいところ、企業に頭を下げて働かせてくださいとうぶな学生がヘコヘコと就活に挑むのである。
それはまるで千と千尋の神隠し千尋がここで働かせてください、ここで働きたいんですと湯婆婆に詰め寄る姿のようだ。
我々千尋は、名前を奪われるというハンデを負うことを認識しながらも湯屋で働くために面白くもない面接に臨むのである。

就活が終わって、何を得たのだろうか。

学生にとっては人生を見つめ直すいい機会だとも思える。
一方で、就活期間を通じて失った自尊心だとか、企業の舐めた態度、他の就活生の発言など嫌な思い出として残ることは大量にある。
だからこの制度を変えろとまでは言わないが、私個人の経験としては就活はつらいものであったことは確かである。