いってみた、やってみた

いってみた、やってみた

へなちょこ男が世界に挑む奮闘記(そして負けます)

帰国子女の英語力とはどんなものなのか

帰国子女なりそこない

帰国子女ってうらやましい~。だって英語も日本語もペラペラじゃん。

何を隠そう私は帰国子女のなりそこないである。

忍者でいえばだし、ハリーポッターでいえばスクイブだし、世界遺産招致活動でいえば鎌倉なのである。(要するになりそこない)

なりそこない帰国子女とは何を指すかというと、学齢期前に外国に居住し、学齢を迎えてからはもっぱら日本で育った人物のことである。

私は、合衆国ニューヨーク郊外で2歳~5歳までの3年間を過ごした帰国子女もどきなのである。

く、くやしい。

私が入学した私立の中高一貫校では、帰国子女入試なるものが行われており、帰国子女が優遇されていた。

彼らは入学後もその優れた英語力を英語のクラスにていかんなく発揮していた。

かたや私は、彼ら本物の帰国子女の前にとてもアメリカに滞在していた経験があるなどといえるはずもなくカタカナ発音にいそしんでいた。

当時の私は、数学、理科、情報と理数系の科目でセンスのなさを存分に発揮し、赤点を連発していた。

英語はかろうじて平均点を取る程度。

帰国子女たちは英語で高得点を連発、英語の勉強時間を他の科目にも回せるからか全体的な成績がいい子が多かった。

しかし、ここで無性に悔しさがこみあげてきたのである。

「なぜ、自分は英語ができないのか」「アメリカ滞在は夢だったのか」

自分がなりそこない帰国子女だということを痛いほど実感したのであった。

I'm fine thank you. And you?

英語をコミュニケーションツールとして見ない教育

コミュニケーションという観点から見て、日本の英語教育における最大の問題は何であろうか。
私は、日本人なら誰もが初歩で習う、How are you? I'm fine thank you. And you?的マインドが日本の英語コミュニケーション教育の問題ではないかと考えている。
何が言いたいかというと、英語は言語なのだから一つの正解があるわけではない
友人に元気か?と聞かれても、元気じゃない日もあるだろう。
I'm fine thank you. And you?を正解とするようなマインドは英語をコミュニケーションツールとしての言語として捉えることを阻害し、あくまで暗記の対象に落とし込んでしまっているのではないだろうか。
もちろん、試験を行う上で正解を定め、それに従わない者には点数を与えないというルールを作るのは合理的だ。
それに、全ての学生にある程度のレベルで英語を教育するためI'm fine thank you. And you?を覚えているか否かという基準で教育の到達を判断することも理解できる。
だから日本の英語教育全般に文句を言いたいとか、試験を廃止すべきだ、とか主張しているわけではない。
私が言いたいのは、試験で点数が取れることと英語でコミュニケーションが取れることとは別であるという点だ。

カナダでオワタ

入国目的をカタカナ英語で「ホームステイ」と伝えるも通じず撃沈

帰国子女への劣等感から英語を頑張ろうと決めた私は教科書をしっかりと復習し、誰もが捨てる付属リスニングCDも聞くなど真面目に英語学習を行っていた。
徐々にではあるが点数も上昇し、得意科目と言えるようになっていった。
そして、ついに私はカナダのホームステイに参加することとなった。
私の学校では目玉イベントとして海外ホームステイ体験があった。
そこで私はひと夏をカナダで過ごすこととなったのである。
ホームステイ先はバンクーバーから数時間の山深い田舎町、"何もない"がある町であった。
ステイ先のファミリーは母一人子一人、そしてナイジェリアからの留学生という三人であった。
カナダ入国の時点で、審査官と全く会話が成立しない、始まる前からオワタの空気は漂っていた。
ちなみにカナダの首都はオタワである。

あれ、英語が通じないぞ

初対面でステイ先ファミリーとお互いに自己紹介をした時のことである。

Hello! Nice to meet you. You are aksjrjfejskrjrnfjmmmajsjdjrdivkrkdifjrkdjfn fr jroforkkdkfkrrodosoekrkrkfofofkvkkkfrk..............

私は彼らが何を言っているのか全く理解することができなかった。

英語は得意科目であったし、それなりに自信もつけてきた段階だったので初っ端での躓きに大きなショックを受けた。

特に最強クラスに理解ができなかったのはナイジェリアの彼である。

独特のリズムを入れながらモゴモゴとしゃべるナイジェリア英語はリスニング教材には絶対に収録されていないタイプの英語であった。

更に困ったことにこちらが言いたいことが全く伝えられない、伝わらないという地獄も展開されていた。

ネイティブっぽく話すのが恥ずかしいという思いから日本でボソボソとカタカナ発音で練習していた英語スピーキングは、実際に使ってみると驚くほど役に立たないのであった。

Feel free to ask me anything!

うぇあいずばするーむ?

Bus? The bus stop is there...

... ...

笑顔は世界の共通言語だ

自分がネイティブの幼稚園生以下のコミュニケーション能力しか持っていないことを否応なく突きつけられた私はカナダの田舎町での生存戦略を模索し始めた。

言葉が通じないからムスっとしていたらやはり可愛げがないだろう。

小さい子だって何を言っているかはわからないがニコニコしているから可愛いのである。

そこで私は小さい子になることにした。

何を言われてもにこやかにする。

言われていることがわからなかったときはジェスチャーをする。

言いたいことが伝えられないときは絵を描く。

ここまで来るともはや周囲も哀れなアジア人に同情するというレベルになるのか、皆優しく対応してくれた。

ホームステイを通じて伸びたのは英語力ではなく非言語的コミュニケーション能力だったのではないかと思う。

結局、英語でコミュニケーションを取るとは何なのか

この経験から私が痛感したのは英語でコミュニケーションを取ることというのは想像していたよりも難しいという点であった。

何故難しいのか、というと英語でコミュニケーションをとる練習と、英語の試験勉強をするのとが一致するわけではないからだ。

英語を学ぶ際に気をつけなければならない点は、試験とコミュニケーションとの間で完璧な相関関係が見られるわけではないということだ。

英語でコミュニケーションを取ることというのは、ただ単語を知っているとか発音がいいとかそういった側面のみならずどうすれば相手と通じ会えるかを考える能力が試されているのだと思う。

それは学生時代の英語試験で測り切ることができない部分であるように感じている。

だからこそ、英語が苦手だと思っているあなたに言いたい。

学生時代、英語の試験ができなかったからと言って英語でコミュニケーションを取るチャンスを逃さないでほしい。

How are you?と聞かれたら自分らしく答えればいいのだ。

人と通じ合いたいという思いに正解はないのだから。