教習所がつらい
私のトラウマ
自動車教習なんて二度と行きたくない
私は、免許を持っている。
出身は神奈川県横浜市郊外、多くの人がイメージする港の横浜からは遠く離れた田舎っぽい町である。
そんな町では、車がないとコンビニにも行くことが出来ないし、最寄りの駅だって歩いたら40分かかってしまう。
だから、高校を卒業した直後、親のすすめもあって自動車教習所に通い始めることとしたのだ。
比較的近所にあり、割引キャンペーンも行っていた自動車学校に入校することとなったのだが、そこでの日々は今思い出してもなかなかつらいものであった。
え、二週間くらいじゃ終わらないの??
私にとって衝撃だったのは、二週間くらいで全日程をこなすことは厳しいという点だった。
この時点でやる気ダダ下がりである。
私が想像していた二週間くらいでパーっと終わらせる自動車学校というものはいわゆる合宿タイプのものなのである。
通いで行く場合には、予約の都合などもあり、詰め込んだとしても一か月以内がせいぜいのところであるということであった(※個人差があります)。
そもそも、自動車教習所のシステムを理解していなかったのだが、教習所卒業のためには座学と実技の二つの軸をうまく回していかなければならないのだ。
そして、ネックとなるのが実技の予約である。
教官とマンツーマンで車に乗り込み様々な技能を取得する実技では、何月何日の何コマ目といったように予約が必要となるのだが、私はその予約がなかなか取れなかったのである。
座学は全員が座れなくなるほど込み合うことはほぼないので、バシバシとすすめられたのだが、実技は一向に進まず、、、運転できないのにやたら看板に詳しくなっていったのであった。
挫折
教習所不登校になる
大学が開始され忙しくなったこともあり、3月にスタートした教習は気が付くと夏を迎えていた。
そう、つまり私は三か月近く教習所不登校になってしまったのだ。
この時点で、教習の進み具合は第一段階をバッチリ”終えていない”という絶望レベル。
第一段階とは、教習所内をくるくる回って坂とかカーブとかをやるあのヤツである。
入校から4か月近く経っていたのにこの状況、はっきり言ってやばい。
しかし行かなければいかなくなるほどどんどん再開するタイミングを失う、という驚異的な悪循環に陥っていた。
大学の友人の中には早々に教習所を終える者も出始め、焦りばかりが募るようになってきた。
しかし、私が教習所に行く気を失くしてしまったのには、予約の取りにくさ、大学生活の忙しさだけでない理由があったのだ。
教官
そう、教官である。
私はいわゆるコミュ障である。
初対面の人と会話をするのは基本的に苦痛と感じるタイプだ。
実技が恐ろしいのは、そんな初対面の教官と車という狭い密閉空間で50分も過ごすのだ。
さらにその上教官には当たりはずれというものがあり、どうしても相性が合わない人というのは存在する。
私は、実技で教官と過ごす時間が嫌すぎて不登校になってしまったのである。
運転に集中させてくれ
君、あんまりしゃべらないね(笑)
コミュ障にとって最も苦しいのは当たり障りのない会話をすることではないだろうか。
実技の時間では、大学はどうだとか、将来はどうとか、そういう当たり障りのない会話をするだけでも苦痛なのにそれに加えて慣れていない自動車の操作をしなければならないのだ。
私が一度言われてショックだったのは「君、あんまりしゃべらないね(笑)」であった。
確かに周りの教習生を見ていると、教習の時間が終わった後もおしゃべりを続け、「またね~」なんて言っている者もいた。
反面、私は何をするにも必死、会話も続かない、自分がダメなのではとネガティブスパイラルに入ってしまった。
教習所って結構大変
脅すわけではないが、教習所ってなかなかつらい。
免許なんてみんな持っているし、そこら辺のDQNみたいな人だって運転している。
そんな姿を見ると、免許取得ってとても簡単なんじゃないかと勘違いをしてしまう。
でも、人によっては結構苦労するものだと思う。
とりあえず、焦る気持ちもあるだろうが、結局は、耐えしのいで通うしか卒業への道はないのだ。
具体的に今教習所に行きたくないと思っている人へ。
1. とりあえず、教習所の受付に行ってみよう。
なんだかんだ言って彼らはプロである。
全然うまくいかない生徒を卒業まで持っていく技能もある。
私は結局9か月かかって卒業したが、夏にこれはやばいと思って受付に相談したことからすべてが始まったといっても過言ではない。
2. 教官に何を言われても気にしない。
教官は人間である。
だから相性がというものがある。
全員と上手く楽しく話をしながら技能を身に着けるなどということが必ずできるはずがないのである。
最近の教習所では好きな教官を指定したり、その逆で特定の人を外したりすることもできる。
私も、好きな教官の指定は何回か行った。
すると、技能も飛躍的に進歩していった実感があった。
自分と合わない教官に下手とかコミュ障とか何を言われても、次にはもう会わないなと思えば気が楽である。
3. 何とかなるからとりあえず行こう
教習にはなんだかんだお金がかかる。
どんなに安くても20万円程度はかかってしまう。
それが更なるプレッシャーとなって、下手な自分、卒業できない自分を責めてしまうことがあると思う。
しかし、逆に20万円程度も払っているお客様なのだから、自動車教習所はあなたをサポートする責任がある。
遠慮などしなくていいのである。
下手だからなどという理由で萎縮する必要は全くないのである。
そもそも最初から運転が上手にできる人などいるはずがない。
私は最後まで教習に苦労したが、だからこそ免許を取ったときの喜びはなかなか大きいものがあった。
免許とは、「皆が取れる簡単なもの」ではなく、「責任ある交通社会人への一歩」である。
だからこそ、教習で憂鬱になったり苦労するのは、交通事故を起こさないためにも重要なステップだと実感しているのだ。