夢と現実のはざまで−映画 フロリダ・プロジェクト−
紹介する映画
夢の国、ディズニーワールドのすぐそばには、夢のない現実が広がっていた。
カラフルなモーテルに住む少女の無邪気な視点を通じて、アメリカが抱える深い貧困問題を映し出す。果たして少女は夢の国にたどり着くのだろうか…
繰り返す悪夢
私には、幼い時から何回も繰り返してみる悪夢がある。
それは、こんな内容だ。
ディズニーランドに行けることが決定する。
とてもうれしい思いで、実際に行く日までわくわくと待ち続ける。
しかし、急に「家族の事情」であったり「ディズニーランドが閉鎖」されたり、「チケットが消え」たりしてディズニーランドに行けなくなるのだ。
ひどいものだと、ゲートまで進んだのにも関わらずいけないバージョンまであった。
バリエーションはいくつかあったのだが、悪夢の一番中心となるのは、ディズニーランドに行けないという点だ。
目覚めるたびに気分が悪くなる。
何故こんな夢を繰り返してみてしまうのだろうか。
幼いころから疑問であった。
夢の国のすぐそばで
ディズニー・ワールドという夢。
「サンシャイン・ステート」フロリダは、アメリカ国内はおろか、世界最大のテーマパークであるウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートが位置する州だ。
どれくらい広いかというと、リゾート全体でなんと山手線内側よりも広大なのである。
日本からも、多くのファンが世界最大のディズニーパークへと向かっている。
当然、ここまで広大なディズニーワールドを一日程度では見て回ることが出来ないので、ほとんどの人は、近隣の宿泊施設に泊まりながら何日もかけて楽しむことになる。
ディズニーワールドという夢の国で素晴らしい時間を過ごすためには、多額のお金が必要となるのだ。
映画中、ブラジルからハネムーンで訪れたカップルが出るシーンがある。
新婦は、ディズニーワールドへハネムーンに行くことは小さいときからの夢だったと語る。
アメリカ中のみならず、世界中のあこがれを集める「夢の国」ディズニー・ワールド、フロリダプロジェクトは、そんなディズニー・ワールドには一生行けそうもない人たちの物語だ。
主人公のムーニーは母親とモーテル暮らしをする6歳だ。
夢の国、ディズニー・ワールドのすぐそばには、カラフルでチープなモーテルが乱立している。
ムーニーはそんなモーテルの一つ、「マジック・キャッスル」で暮らす女の子。
抜け道が見えない貧困が蔓延するモーテルでも、子供らしい無邪気さを失っていない。
母親は、パートをクビになったり、ニセモノの香水を押し売りしたり、何とか食いつないでいる状況。
街全体が、ディズニーワールドに寄生するような軽薄なビジネスに溢れている状況では、そんな母親の状況も例外的には感じられない。
映画中にたびたび出てくる街並みには、ディズニー・ギフトのアウトレット(公式ではないと思われる)、チケットショップ、そして仰々しい名前と色合いのモーテルが映し出される。
途中で苦しくなるのは、ムーニーと母が二人で、男性に「マジックバンド」を売るシーンだ。
家族でディズニー・ワールドへ向かおうとしている男性に、入場券として使えるマジック・バンドを、売る。
そしてムーニーがひとこと、”Have a nice day."
自分が絶対に行くことが叶わない夢の国へのチケットを売る、のはどんな気持ちだろう。
悲壮感のなさ
もっとも、ムーニーから悲壮感を感じることはない。
そういう運命を受け入れている、のか、はたまた諦めているのか、毎日毎日を好きに過ごしている。
それでも、友達の誕生日にはディズニーワールドの近くへ行って、ショーの花火をパーク外から眺めてみたり、ホテルに忍び込んでおいしいバイキングを食べたり、結局はディズニーの提供する「夢」のおこぼれにあずかっているのだ。
外から見ると厳しい状況であっても、生まれてこの方それを当たり前だと思って生きてきているムーニーにとって、ディズニーワールドの近くで夢のない暮らしをしていることの特異性は気にならないのかもしれない。
子どもは、驚くような適応性を見せる。
ムーニーの他にもモーテルで暮らす子供たちが出てくるが、皆いずれも明るく過ごしているのであった。
やっと行けた
この映画は意外なエンディングを見せる。
様々な状況が重なり、母親に養育能力がないということが明るみに出たため、ムーニーは施設に引き取られることとなる。
しかし、ムーニーは母親と別れることを拒み、引き取りに来た大人たちのもとから逃走する。
最後に頼ったのは、近くのモーテルに暮らす友達だった。
最後にあいさつに来たというただならぬムーニーの様子から、状況を理解した友達は、ムーニーの手を引いて、ディズニー・ワールドへと入り込む。
そして、ムーニーの住む「マジック・キャッスル」の名前のもととなっている「マジック・キングダム」にあるシンデレラ城を見上げたところで、映画は終わりを告げるのだ。
このエンディングは何を意味するのか。
このエンディングは近年見た映画の中でも最も興味深いものの一つであった。
ハッピーエンディングでもないし、バッドエンディングでもない。
ただ、ムーニーは最後に「夢の国」ディズニー・ワールドへたどり着いたのだ。
しかし、この最後のシーンはムーニーの想像の世界だと言われている。
そもそも、チケットもなしに、ディズニー・ワールドへ入ることができるわけもない。
さらにこのシーンでは、急にカメラワークが変わり、スマホ撮影したかのような映像に移り変わるのだ。
ムーニーはいつまでも「夢の国」に入ることはできないのだ。
ディズニーランドに入れない私
ここで、私の悪夢を思い出す。
いつまでも夢の国に入れないムーニーは、まるで私の悪夢そのものだ。
悲壮感のないムーニーだって結局追い詰められて最後に求めていたものはディズニー・ワールドに入ることだったのだ。
私がディズニー・ランドに入れない夢を見た朝に思うことと言えば「夢でよかった」である。
いくら気分が悪くなっても、結局私にとってこれは夢でしかない。
現実にディズニー・ランドへ行くチャンスはこれからいくらでもある。
結局、私にとって悪夢は悪夢でしかないのだ。
フロリダ州で貧困線以下にある子供は25%程度にも及ぶという。
呑気に輝く太陽、毎夜のショーと花火、フロリダのディズニー・ワールドのすぐそばには私の悪夢を現実として生きる子供たちがいるのだ。