アルバイト応募で落ち続けた私の敗因分析
みんなバイトやってるし、、、
あなたはバイトに落ちたことはあるだろうか。
私はある。何回も。
時を遡り大学入学して間もない時のことである。
大学に入ったばかりの学生の話題といえば、どのサークルに入ったかとか、どの授業が楽化とかそんなものであろう。
私もそんな話題を聞いて色々と情報収集していたのだが、気がかりなものがあった。
それはアルバイトである。
アルバイトを早々に始めた友人たちは、月に何万円お金が入っただの、アルバイトで新たな友人に出会っただの楽しそうなことを述べていた。
かたや私は、明らかにアルバイトを始める波に乗り遅れ、一年生の夏休み、冬休みでもなかなかアルバイトが決まっていなかった。
その背景として、なんとアルバイトで面接落ちを繰り返すという悲しい経験があったのだ。
皆がやっているといっても過言ではないアルバイト、自分には全くご縁がないという焦り、大学生生活の柱の一つとも言えるアルバイトを始められない自分に相当なフラストレーションを感じていたのであった。
以下では、私のアルバイト求職活動惨敗経験から、数点ポイントを挙げ、どうして私がアルバイトをゲットすることに苦労したのか分析する。
1.スケジュールが合わない
これは致命的である。
いくら優秀でもやる気に満ち溢れていても、週に一回2時間しか来れないなどという人であればアルバイト探しに相当苦労するはずだ。
アルバイトとはいえ、一応教育を施さなければならないし、一定程度は活躍してもらわなければ企業も割に合わない。
結局は、ある程度シフトに貢献でき、さらに願わくば長期的に勤められる人材というのが一番重宝されるのだ。
私は、当時舐めたことに、週1で2時間しか入れないといった希望を出していた。
学業にもサークルにも支障が出ないようになどと考えていたのだが、こんな程度であれば企業側が雇いたいと思うわけがないのである。
当時の私がアルバイトに全然受からなかった理由の第一としてあげられるのは、このスケジュール感覚の欠如であると思う。
もちろん、授業にサークルに遊びにとすべてを両立させながらアルバイトを行っている学生はいる。
私のように不器用なタイプは、イベントバイトなど短期間で集中してやるものや、単発バイトなどを組み合わせてうまく調整するなどの工夫が必要であっただろう。
2.申し込む職種のミス
私は、できるだけレアなバイトをしたいという軸を持っていた。
しかし、そんな軸で探していたら当然選択肢は狭くなる。
私が見事に落ちたバイトとして、電車関連の小物販売、街頭募金、国際機関広報部門、等々が挙げられる。
これらに共通することは何か?
外向性が強く求められるという点である。
私は、誰がどう見ても内向的な人間である。
人と違った珍しい経験をしたいなどという漠然とした思いのためだけに、次々と"珍しい"アルバイトに応募しては撃沈するということを繰り返していた。
しかし、それはひとえに自分に合わない職種にいちいち飛び込んでいった結果であるとも言える。
では、内向的な人間は永久に珍しい経験を得られないのか?
そんなことはない。
私が絶対にやりたくないと思っていた塾講師のアルバイトだって、生徒それぞれの抱える事情は全く異なっている。
私の友人は学習障害のある生徒を受け持ちながらも見事に高校に合格させていた。
そんな、経験はただ珍しいだけのアルバイトでも到底味わうことはできない達成感を得られる出来事であったであろう。
つまりは、なんとなく意識高そうで珍しそうなアルバイト、さらに私の性格には到底合わないようなアルバイトばかり探していたというところにも私の敗因は大きく原因しているのである。
3. 無駄に焦る
私は周囲に流されてアルバイトを探していた。
当時の自分はアルバイトを始めた友人たちと自分を比較して無駄に焦っていたのだが、いま冷静になって考えてみるとなぜあそこまで焦っていたのかが分からない。
結局は周りがやっているからという非常に受動的な理由でアルバイトを探しているからこそ、本当に自分がやりたいアルバイトは何なのか、自分の目標は何なのか、絞り切ることができていなかったのである。
焦りながら探していたアルバイトはことごとく惨敗であった。
しかし、そもそもアルバイトは必ずやらなければいけないものではないのだ。
アルバイトをやらずに素晴らしい大学生活を送っている学生はいくらでもいる。
アルバイトを必須のものと考えて、みんながやっているから自分もやらなければならないなどという曖昧な理由で応募してきた者を雇うほど企業も余裕があるわけではないのだ。
アルバイトを通じて何を得たいのか明確化できていないのであれば、いっそのことアルバイト以外に精を出す大学生活を送ってもよいのではないだろうか。
4. 面接態度
私は面接というものが大の苦手である。
就活にしてもそうだが、誰かに何かを聞かれて、答えを言うというその単純な行程が私にとってはとんでもないレベルの苦行に感じられる。
アルバイトとはいえ、志望動機などは聞かれるわけだが、当時の自分はもほとんどまとまった形で話すことはできていなかった。
まして、上記のようにアルバイト探しに関してまったくもって主体性のない理由しかなかったわけで、納得されるような志望理由などどうひねっても出てくるわけがなかったのだ。
さらには服装なども全く舐めたもので、スーツを着るなどということはおろか、まともな服で面接に臨んだ記憶がない。
いちどボロボロのシャツで行ったときは、面白い服を着ていますねなどと嫌味まで言われてしまった。
面接は何にしても大事である。
この人と働きたい、この人であれば上手くやれると相手に思わせることが重要なのだ。
世間知らずにも程がある当時の私は、今から思うとなぜあそこまでなめた態度だったのか分からないくらいひどい面接を繰り返していたのであった。
アルバイトは学生生活の柱などと言われる。
だからこそ、大学生活を始めたばかりの一年生や、少しなれた頃の二年生でアルバイトをやっていない学生は何となく自分が大学生活の大事な要素を取りこぼしているのではないかなどと感じているのではないかと思う。
しかし、大学生としてアルバイトをしていないからといって無駄に焦る必要は微塵もないのである。
無駄に焦ってしょうもないブラックバイトに搾取されるような学生生活はむしろ惨めである。
私は、結果として国際交流施設の受付というなかなか珍しいアルバイトをすることになった。
しかしこれも、当初アルバイトに落ち続けなければ出会うこともなかったであろう偶然から発見したアルバイトであった。
アルバイトに落ち続けて、アルバイトなしの学生生活を送ろうと思っていた矢先、たまたま学内の公募で発見したからである。
もちろん、理想としては学生生活をスタートすると同時にやりがいがあるアルバイトを開始できれば良いのであろう。
一方で残り物には福があるものである。
思わぬつながりや思わぬところから意外なアルバイト先を見つけるチャンスはゴロゴロと転がっている。
焦る前に考える。
それがアルバイトを見つけられずに困っている大学生へのアドバイスである。
個人的に就活でつらかったことランキング
就活はつらい。
その一言に尽きる。
突然就活生は今までの人生を商品として売り出し、企業に買ってもらうことを求められるのである。
できるだけ完璧な商品、キラキラと輝く商品として認められるために就活生は日々気をもんでいるのである。
私も就活を経験したが、それはそれはつらいことだらけであった。
そんな私が就活をする中でとくにつらかったできごとをトップ3として紹介しよう。
1.中退経験について深堀り
何を隠そう私はとある大学院を中退している。
現在は別の大学院にいるのだが、まあこの部分に興味を持つ企業の多いこと、多いこと。
なぜやめたのですか、程度であればまだいいのだが、そこを続けていれば良かったんじゃないですか?あなたは何でもすぐやめる人なのですか?そもそもなんで一つ目の大学院に入るときにもっと考えなかったのですか?等々ひたすら詰められた日にはもう就活をやめたくなった。
もちろん、中退経験というのは履歴書の中でも目を引く部分ではあると思う。
そこの部分について質問があるのはしょうがないと思う。
一方で、1つ目の大学院でミスマッチを起こしたという"失敗経験"について永久に質問を続け、その"失敗"を責め続けるような聞き方をしてくる企業が少なからずあった。
私は言いたい。
お前らは人生の一挙手一投足すべて完全に理解、把握した上で行動しているのか?と。
自分の人生のチョイスを完璧に選んできた自信があるという人に私の未熟さを指摘されるならまだわかる。
しかし、そんな人はこの世にほぼ存在しないだろう。
未熟ゆえに見誤ったという経験を踏まえ、現在は新たな気持ちで頑張っているつもりだったのだが、一度でも失敗したら"傷物"であるかのような扱いをしてくる企業に対しては怒りを通り越して失望すら覚えたのであった。
2.他の就活生との交流
ただでさえつらい就活を余計につらくしてくるのは他の就活生との出会いであった。
説明会やインターンなどで出会う就活生の中には、私のエネルギーレベルでは到底対応することができないような激しい人材がいた。
私は、商社でバリバリ働くことにしか興味がないと豪語した就活生に就活状況を聞かれ、鼻で笑われたり、インターンでのグループワークでコンサル志望の就活生にすべて意見をガン無視されたりとなかなか惨めな思いをした。
私があらためて思ったのは、そこまで年齢の差がない就活生という若者の間ですら、人生のバリューや物事の捉え方に決定的な違いがあるということだ。
働き方改革などという言葉はクソくらえ、死ぬほどバリバリ働きたいという思いを持っているという就活生もいた。
他の就活生と話をしたり接したりする中で、私は、自分の知っている世界があまりに狭く、偏ったものであるかを突きつけられたのであった。
そして、女子にモテるだとか、合コンは何回だとか、更にはここには書けないような下世話な質問を投げかける就活生も見かけた。
そういった質問は目立つためのアピールなのかもしれない。企業によってはそういった"ぶっ飛んだ"性格を評価するとも聞いた。
しかし、私は公の場でそういった態度を表明する行為、またそれを面白いと感じるような価値観には賛同できなかった。
堂々と"ぶっ飛んだ"アピールに勤しむ他の就活生を見て、就活に対する反感が高まったのは確かである。
3.信仰の対象となる
言わずもがな、お祈りメールである。
もはや祈られすぎて、自分が信仰の対象となってきているように思えてしまった。
企業がこれほど私に祈ってくれるのであれば、企業を対象に私が教祖となって新たな宗教を始めるべきではないかとも思えてくる。
しかし、祈ってくる企業はまだマシである。
世の中にはサイレントお祈りというものが存在する。
サイレントでも信仰してくれるのなら良いのだが、サイレントとはむしろ、大したことなかったけどとりあえず二軍としてキープして辞退者が出たらそこから引っ張り出すための要因or連絡するほどの価値もないような不合格かのどちらかを表している。
サイレントのため、就活生は来もしない連絡を、片思いの人に告白した後のようにやきもきして待ち続けることとなる。
平たく言って、こういうことをする企業というのは就活生含め人間を舐めていると思う。
サイレントのように一人ひとりの就活生に寄り添わない態度というのは、労働者は代替可能でいくらでもお前の代わりはいるのだと表明することにほかならないのではないだろうか。
そもそも就活を通じて、企業の力というものが圧倒的であることを痛感させられ続けた。
労働者は労務を提供する立場、企業はそれに対価を支払う立場で対等であるなどという話は机上の空論もいいところ、企業に頭を下げて働かせてくださいとうぶな学生がヘコヘコと就活に挑むのである。
それはまるで千と千尋の神隠しで千尋がここで働かせてください、ここで働きたいんですと湯婆婆に詰め寄る姿のようだ。
我々千尋は、名前を奪われるというハンデを負うことを認識しながらも湯屋で働くために面白くもない面接に臨むのである。
就活が終わって、何を得たのだろうか。
学生にとっては人生を見つめ直すいい機会だとも思える。
一方で、就活期間を通じて失った自尊心だとか、企業の舐めた態度、他の就活生の発言など嫌な思い出として残ることは大量にある。
だからこの制度を変えろとまでは言わないが、私個人の経験としては就活はつらいものであったことは確かである。
私立中学で不登校になった話(1)
不登校は甘えか?
不登校と聞いてどんなイメージを持つだろうか。
最近は、小学生youtuberまで出てくるようになり、不登校というものが選択肢の一つとして考えられるようになっているのではないかとも思う。
私自身、私立中高一貫校の中学校3年生課程をほぼ一年間投稿しなかったいわゆる不登校であった。
不登校は甘えである、とよく言われる。
結論から言うと、不登校は甘えではないと私は考える。
とくに、中学校や高校時代といった多感な時期はただでさえ心や体のバランスが乱れがちである。
そこに、友達関係の悩みや部活、受験といったさまざまなプレッシャーが一気に押し寄せてくるのだから学校に嫌気がさすことはある意味当然ともいえる。
しかしほとんどの人は、辛い、嫌だと思いながらも学校に通えてしまう。
不登校になる人はいったい何が違うのか?
不登校になる人というのは甘えているのではなく、決死の覚悟で学校に行かないというチョイスを選んでいるむしろ挑戦者であると思う。
学校に行って、大方の人と同じように過ごすというチョイスをした方が楽な中で、あえて人とずれたことをする、大変な道を選ぶという点では不登校はむしろ甘えの対極にあるのではないだろうか。
私が不登校になるまで
私はいわゆる進学校に通っていた。
学校での教育は受験を常に意識したもので、中学校の段階から大学受験、大学受験とお題目のように唱えられていた。
そんな学校生活では楽しみを見出すことも少なく、生徒同士の関係性もなんだかピリピリとしていたように感じていた。
ある日のことである、クラスの中心的グループが私の方を見て笑っているのに気づいた。
最初はどうでもいいことだろうと無視していたのだが、次第に私が明確なターゲットとなって「からかい」が発生していることに気づいた。
未だに理由はわからない。
私にも少なくはあったが友人はいたし、とりたてて中心グループにたてつくようなことをした覚えはない。
しかし、何となく従順そうで気弱な感じの私をターゲットとすれば、たいして面白くもない学校生活に何か新たな刺激が得られると彼らは思ったのかもしれない。
「からかい」は次第に明確な「いじめ」へと変化した。
ロッカーが荒らされたり、歩いているだけで指をさされて笑われたり、ただでさえ目立つのが苦手な私にとって、こういった行為は恐怖以外の何物でもなかった。
学校に行くと食欲も落ち、朝目覚めるのも苦痛になっていった。
意味もなく泣いたり、通学時にはバスに轢かれる妄想が止まらなくなっていった。
「この程度の」からかいで、と思うかもしれない。
しかし、本人がどう受け止めるかは個人によって大きな差がある。
いじめを受けて自殺する子供の気持ちがわからないというコメントを以前目にしたが、外から見たら「この程度」であっても本人、特に子供にとっては往々にしてこういった問題は生死を賭けるような出来事なのである。
登校するのをやめようと決意した日
そんな苦しみが続いていた日のことである。
体育の授業で、グループに分かれてサッカーをすることになった。
そのころには私は完全に「のけ者」となっており、どのグループも私を受け入れようとはしなかった。
私が一人、どのグループにも入れていないことを知ってか知らずか、体育の教師が一言、「じゃあ、全員決まったことだし試合始めようか!」。
私の心は完全に折れた。
気が付くと過呼吸で保健室に運ばれていた。
その瞬間であった。
「学校行くのやめよう」と私は決意したのであった。
学校行くのをやめようと決意したはいいものの、そんなこと家族がすぐに受け入れられるはずはない。
私が、学校に行くことを辛いと感じていたことは、食事量の減少や目覚めの悪さなどから感じ取っていたようだが、まさか不登校となるとは思ってもみなかったようである。
さらに勉強のスピードが速い私立中高一貫校で長期に休めば、学校の勉強についていくことが不可能となり卒業すら危うくなるのではないかという懸念もあった。
しかし、私は頑固だった。
もう二度とあんな思いをしたくないという強い願いから必死に家族を説得した。
結局、家族が私の説明で完全に納得したわけではなかったのだが、ずるずると学校へ行かない日が積み重なり、私は正式に不登校となったのであった。
不登校を始めて本当につらかった時期に何回も繰り返して読んでいた。さまざまな著者による短編集だが、どの話も不思議なおかしみと前向きになれるメッセージが詰まっていた。人生の一冊。
イランに行ったからこそ分かるハリウッド映画「アルゴ」の秘密
史上最もエキセントリックな脱出劇
事実に基づいた作品とは到底思えない
ベン・アフレック監督作「アルゴ」を知っているだろうか。
イラン革命につづく、アメリカ大使館人質事件を受け、CIAの工作員があるとんでもない方法でイランにいるアメリカ人を救出するという物語だ。
そのとんでもない方法とは、人質となっているアメリカ人たちを、イランをロケ地にしたカナダ人SF映画撮影クルーと偽装することであった。
何から何まであまりに現実離れしているので、到底史実とは思えなかったのだが、この映画のベースは史実に基づいているのである。
以下では、実際にイランへ渡航した私がアルゴについて解説しながら気づいた点について解説していきたいと思う。
なんでいちいちSF映画にしたのか?
意外や意外・・・。
そもそも「アルゴ」とは、このでっち上げSF映画のタイトルである。
救出作戦では、異星を舞台としているため、地球っぽくない風景のロケが大事なのだと必死に説明がなされているのである。
なんでいちいちSF映画などを選んだのか。
いくら国土が広いとはいえ、そんなに都合よくイランで「地球っぽくない」風景など見られるのだろうか?
なんと簡単に見られるのである。
写真は、テヘランからイスファハンへと向かう車窓から撮影したものである。
荒涼とした大地に輝く夕日、この不思議な光景はなかなかSF感あふれるものではないだろうか?
イランでは、このようにダイナミックで不思議な風景の撮影を行うことが簡単なのである。
空港での緊張感あふれるシーン
映画の見過ぎで、自分のときも緊張してしまった
この映画で最大のハラハラシーンと言えば、最後撮影クルー(アメリカ人人質たち)が空港で出国審査を受ける場面である。
革命防衛隊のお兄さんがペルシャ語で何やらきつく物を言う姿、あまりの剣幕に、出国できなくなるのではないかという緊張感が高まるシーンである。
自分も出国審査のとき、ペルシャ語でまくしたてられたらどうしようなどとハラハラしていたのだが、、
意外や意外さらっと終わってしまった。
特にほかの国と比べて厳しいといったこともなく、身体検査等を抜ければあっという間に搭乗ゲートである。
搭乗ゲート前にはいくつかこぎれいな売店まで並んでおり、私は乾燥ローズを購入した。
結局、空港では、勝手にハラハラしていたのがばかばかしくなるくらい平穏に過ごすことが出来たのであった。
町中は殺伐としていない
映画の描写が怖すぎる
映画の描写は、そもそも部隊が革命直後ということもあって全く現在の状況とは異なっているということは理解しておくべきだが、それにしても殺伐と描かれすぎである(笑)
バザールで写真を撮ったら店主がキレ始めるというシーンがあったが、あそこまで心の狭い人に私は滞在中一度も出会うことはなかった。
むしろ写真を撮ってくれと頼まれることも多く、非常にウェルカムな空気感があふれていた。
また、イラン人と話してみると反米だとか反西洋のような思想を強く持っている人が多数を占めるわけでもないということも強く感じる。
イランは、お人よしで親切な(ちょっとおせっかい)優しい人たちが多い国であると思う。
映画での描写は必要以上に「私たちとは相いれない存在」としてのイラン人を強調しているように感じる。
実際に渡航することで感じたことは、むしろ「非常に身近な存在」としてのイランの人々たちであった。
特にこちらが日本人であると伝えると皆顔がパッと明るくなり、ただでさえ優しい彼らがもっと優しくなっていった場面が何回もあった。
この映画自体がアメリカのプロパガンダだと一部では言われている。
しかし、監督であるベンアフレックはアメリカ礼賛のような意図をもって制作したわけではないようだ。
むしろ人々にイランという国を理解してほしいという思いもあったようである。
アルゴを通じて、アメリカ側に寄った解釈ではあるものの、イラン革命、アメリカ大使館員人質事件という世界史に残る重大事件について知り、イランへの興味を深めることが出来れば、監督の意図も果たされるのではないだろうか。
現在にまで続くアメリカとイランとがぎくしゃくしてしまった原因を抑えるための第一歩としてアルゴは非常に良い教材になると感じている。
教習所がつらい
私のトラウマ
自動車教習なんて二度と行きたくない
私は、免許を持っている。
出身は神奈川県横浜市郊外、多くの人がイメージする港の横浜からは遠く離れた田舎っぽい町である。
そんな町では、車がないとコンビニにも行くことが出来ないし、最寄りの駅だって歩いたら40分かかってしまう。
だから、高校を卒業した直後、親のすすめもあって自動車教習所に通い始めることとしたのだ。
比較的近所にあり、割引キャンペーンも行っていた自動車学校に入校することとなったのだが、そこでの日々は今思い出してもなかなかつらいものであった。
え、二週間くらいじゃ終わらないの??
私にとって衝撃だったのは、二週間くらいで全日程をこなすことは厳しいという点だった。
この時点でやる気ダダ下がりである。
私が想像していた二週間くらいでパーっと終わらせる自動車学校というものはいわゆる合宿タイプのものなのである。
通いで行く場合には、予約の都合などもあり、詰め込んだとしても一か月以内がせいぜいのところであるということであった(※個人差があります)。
そもそも、自動車教習所のシステムを理解していなかったのだが、教習所卒業のためには座学と実技の二つの軸をうまく回していかなければならないのだ。
そして、ネックとなるのが実技の予約である。
教官とマンツーマンで車に乗り込み様々な技能を取得する実技では、何月何日の何コマ目といったように予約が必要となるのだが、私はその予約がなかなか取れなかったのである。
座学は全員が座れなくなるほど込み合うことはほぼないので、バシバシとすすめられたのだが、実技は一向に進まず、、、運転できないのにやたら看板に詳しくなっていったのであった。
挫折
教習所不登校になる
大学が開始され忙しくなったこともあり、3月にスタートした教習は気が付くと夏を迎えていた。
そう、つまり私は三か月近く教習所不登校になってしまったのだ。
この時点で、教習の進み具合は第一段階をバッチリ”終えていない”という絶望レベル。
第一段階とは、教習所内をくるくる回って坂とかカーブとかをやるあのヤツである。
入校から4か月近く経っていたのにこの状況、はっきり言ってやばい。
しかし行かなければいかなくなるほどどんどん再開するタイミングを失う、という驚異的な悪循環に陥っていた。
大学の友人の中には早々に教習所を終える者も出始め、焦りばかりが募るようになってきた。
しかし、私が教習所に行く気を失くしてしまったのには、予約の取りにくさ、大学生活の忙しさだけでない理由があったのだ。
教官
そう、教官である。
私はいわゆるコミュ障である。
初対面の人と会話をするのは基本的に苦痛と感じるタイプだ。
実技が恐ろしいのは、そんな初対面の教官と車という狭い密閉空間で50分も過ごすのだ。
さらにその上教官には当たりはずれというものがあり、どうしても相性が合わない人というのは存在する。
私は、実技で教官と過ごす時間が嫌すぎて不登校になってしまったのである。
運転に集中させてくれ
君、あんまりしゃべらないね(笑)
コミュ障にとって最も苦しいのは当たり障りのない会話をすることではないだろうか。
実技の時間では、大学はどうだとか、将来はどうとか、そういう当たり障りのない会話をするだけでも苦痛なのにそれに加えて慣れていない自動車の操作をしなければならないのだ。
私が一度言われてショックだったのは「君、あんまりしゃべらないね(笑)」であった。
確かに周りの教習生を見ていると、教習の時間が終わった後もおしゃべりを続け、「またね~」なんて言っている者もいた。
反面、私は何をするにも必死、会話も続かない、自分がダメなのではとネガティブスパイラルに入ってしまった。
教習所って結構大変
脅すわけではないが、教習所ってなかなかつらい。
免許なんてみんな持っているし、そこら辺のDQNみたいな人だって運転している。
そんな姿を見ると、免許取得ってとても簡単なんじゃないかと勘違いをしてしまう。
でも、人によっては結構苦労するものだと思う。
とりあえず、焦る気持ちもあるだろうが、結局は、耐えしのいで通うしか卒業への道はないのだ。
具体的に今教習所に行きたくないと思っている人へ。
1. とりあえず、教習所の受付に行ってみよう。
なんだかんだ言って彼らはプロである。
全然うまくいかない生徒を卒業まで持っていく技能もある。
私は結局9か月かかって卒業したが、夏にこれはやばいと思って受付に相談したことからすべてが始まったといっても過言ではない。
2. 教官に何を言われても気にしない。
教官は人間である。
だから相性がというものがある。
全員と上手く楽しく話をしながら技能を身に着けるなどということが必ずできるはずがないのである。
最近の教習所では好きな教官を指定したり、その逆で特定の人を外したりすることもできる。
私も、好きな教官の指定は何回か行った。
すると、技能も飛躍的に進歩していった実感があった。
自分と合わない教官に下手とかコミュ障とか何を言われても、次にはもう会わないなと思えば気が楽である。
3. 何とかなるからとりあえず行こう
教習にはなんだかんだお金がかかる。
どんなに安くても20万円程度はかかってしまう。
それが更なるプレッシャーとなって、下手な自分、卒業できない自分を責めてしまうことがあると思う。
しかし、逆に20万円程度も払っているお客様なのだから、自動車教習所はあなたをサポートする責任がある。
遠慮などしなくていいのである。
下手だからなどという理由で萎縮する必要は全くないのである。
そもそも最初から運転が上手にできる人などいるはずがない。
私は最後まで教習に苦労したが、だからこそ免許を取ったときの喜びはなかなか大きいものがあった。
免許とは、「皆が取れる簡単なもの」ではなく、「責任ある交通社会人への一歩」である。
だからこそ、教習で憂鬱になったり苦労するのは、交通事故を起こさないためにも重要なステップだと実感しているのだ。
イランって旅行できるの?
「悪の枢軸」イラン
トランプも目の敵にする
イランって旅行できるようなところなの?
イランに行ったことがあると伝えるとよく聞かれる質問だ。
答えはYESである。
アメリカがトランプ政権に代わって以降、イランへの風当たりはどんどん強くなっているように感じる。
イランと言えば危険、イランと言えば核、イランと言えばテロ、、、、そんな情報が飛び交っているように思う。
私は、危険地に飛び込むのが好きとか、そういう冒険心にあふれるタイプではない。
そんな私にとってもイランは非常に安全だと感じた国の一つである。
私が渡航したのは2017年3月。
経済制裁が今のようにイランをきつく縛っている時期ではなかったということは考慮しなければならないだろう。
しかし、それを差し引いてもより多くの人にイランをぜひ一度訪れてもらいたい。
超都会のテヘランにびびる
イランでの滞在は驚きの連続であった。
イマームホメイニ―国際空港は正直日本の地方空港レベルで少しヘボかったという点で驚いたのだが、首都テヘランの市街地へどんどんと進むにつれて違った驚きが押し寄せてきたのであった。
モダンで大都会のテヘランの姿は、メディアの情報から想像される「中東」「イラン」像とは大きく異なっていた。
あふれる車、商店、カラフルな格好をした女性、何を見ても新鮮であった。
圧巻は、テヘランのシンボルミラッドタワーから見た景色である。
1000万人近くが暮らすテヘランはあのドバイよりもはるかに大きい中東一の都会なのである。
一番のアトラクションは
ずばりイラン人である
イランには観光名所が多数存在する。
世界遺産の数では日本の上を行く世界10位、なぜなら超古代から人々が暮らしていたイランでは数々の華々しい文明が栄えてきたからだ。
しかし、そんなイランで一番面白いのは観光名所ではなくイラン人であろう。
イランでは英語があまり通じない(ちなみに昔日本に住んでいたため日本語が話せるという中年男性が比較的いたことも興味深い)。
しかし、そんなことは全く意に介さずいろいろと話しかけてくるイランの方々。
皆、とっても優しいのである。
メニューが分からなければ、写真を見せてくれる。
払うお金が分からなければ必要な分だけ取ってくれる。
イランの人々のホスピタリティにはいい意味で驚くばかりであった。
治安は?
個人的には問題を感じなかったが・・・。
治安面でも問題を感じることはなかった。
しかし、これは自分が男性であったということにも少し助けられていたかもしれない。
女性は、外国人旅行者であってもスカーフ着用が義務付けられるなど少しハードルにっ感じる点もある。
さらに、外国人女性はイラン人女性と比べて「軽い」とみられるのか電車内や町で体を触られるなどの痴漢行為を受けたという報告も一部あるようである。
殺人や強盗といった意味での危険は街を歩く限りほぼ感じることはなかったものの、特に女性は嫌な思いをしないためにも注意をしたいところだ。
私の主観ではあるが、アメリカのニューヨーク、ベトナムのホーチミンなどと比較してもイランのテヘランは安全であると感じた。
その他の地方都市に至っては、夜中でも女性の一人歩き、子供が遊ぶなどを目にすることがあり相当のレベルで治安が安定していることを表しているように感じた。
むしろ台湾の台北や韓国のソウルといったレベルの町の方に治安状況は近いと感じるくらい安心できる町であった。
ここ数年、そんなイランを目指して、ヨーロッパからの観光客も増加傾向にあるという。
実際に、各地でヨーロッパからの団体ツアー客を目にすることがあった。
イラン情勢は流動的で、様々な要因に左右されがちではあるものの、メディア等で見るイラン像と、実際のイランとは大きく違う可能性があるということは覚えていてほしい。
イランに関する情報は極めて少ない。
そういった中でも地球の歩き方はイランに関する情報が丸々一冊にまとまっていて旅行中も大変参考となった。
イラン旅行を検討するならば必携の一冊だ。
格安航空券で行く、ベトナム・ホーチミン
航空券と言えばSkyscanner一択
羽田からホーチミンへ
ベトナム旅行に行こうと決めたのが1月頃、翌月に弾丸旅行を敢行することとした。
航空券と言えば最近はもっぱらSkyscanner一択である。
私は、Skyscannerが日本語化される前から使っていたくらい(古参アピール)Skyscannerにはお世話になっている。
Skyscannerの何がいいかというと、
- 圧倒的カバー力
- 検索の使いやすさ
- お宝さがし感
である。
1.圧倒的カバー力
日本の格安航空券サイトなどでは、アジアリゾート、北米、などといったカテゴリごとに行き先を調べるスタイルになっていることが多い。
しかし、調べるカテゴリにないような行き先の都市に行きたい場合は検索することが出来ない。
その点Skyscannerは掲載していないところはあるのかという勢いでかなりの場所をカバーしているので安心してマイナーな都市への航空券を探すことができるのだ。
ホーチミンへのフライトもskyscannerであれば直行便から乗継便まで、格安便から日系航空会社まで幅広くカバーしているのである。
先日、ウズベキスタンに旅行にでかけたが、ウズベキスタン行きの航空券も当然のようにカバーされており、マイナー旅行地に向かう人にとってはもはや必須と言っても過言ではない。
2.検索の使いやすさ
これは他のサイトを圧倒的に凌駕している。
もしあなたが、行く先も日程も細かく決まっていないけどどこかに行きたい、と考えた場合、「すべての場所」について「最安値」を検索することができるのだ。
これは他のサイトではほぼ見ることのないSkyscannerの圧倒的利点だ。
つまり何のプランもない状態から、次はどこの町へ、どの時期に行けば最安値であるかを調べることが可能なのである。
私自身、一か月前まで何も考えていなかった状態からSkyscannerを通じてベトナム旅行を決定したようなものである。
また、機能として世界地図上に最安値を表示させたり、日ごとに最安値を棒グラフ上に表示したりと、見た目的にも面白いものが多い。
ただ、検索するだけでも旅行気分を味わえてなかなか楽しいのである。
3.お宝さがし感
これは航空券探しの最も楽しい点でもありイライラする点でもある。
一日出発がずれるだけで、羽田から成田にするだけで、ソウル乗り換えにするだけでetc...さまざまな小さな条件で航空券の値段は大きく変わってくる。
Skyscannerではすぐにこれらの条件を入れ替えて検索することが可能なので、様々な航空券を比較して最も良いプランを選び取ることが出来る。
一方で、こういった作業が苦痛で自分で選ぶのはめんどくさいという方にはかなりの負担感がある作業だと思うので十分にSkyscannerの利用には自分の性格と相談しながら考えていってほしい。
エアアジアでホーチミンへ
初エアアジア
そんなこんなで、私がゲットしたベトナム・ホーチミン行きの航空券はエアアジアX クアラルンプール乗り換えの便であった。
これの良いところはやはり価格が安いことである。
エアアジアといえばLCCの代表格のようなもので、東南アジアを中心にかなりの都市に就航している。
さらに私たちにとってラッキーだったのは羽田夜発であったことである。
木曜日の夜発だったのだが、これのおかけで同行者である姉が木曜日の仕事を休むことなく仕事帰りにベトナムへ行くことが出来たのである。
生き延びろ!乗り換えパニック
航空券はホテル2泊込みで¥44,000程度。
やはり格安である。
しかし、懸案はクアラルンプールでの乗り換えがあるという点だ。
行きは2時間30分、帰りは2時間15分で乗り換えなければならない。
とくに帰りに至っては、姉の仕事が月曜日から始まるため絶対に遅れることはできないというハラハラ仕様。
時間にリミットがあるくせに格安航空券をゲットするというまさに二兎を追う旅程にしたのだが、出発直前になってやはりまずかったのではと不安が増大したのであった。
エアアジアのような格安航空はよく遅延するという口コミも調べれば調べるほど出てくるうえ、乗り継ぎに失敗しても特に助けられないというような情報も出てくる始末。
2時間のバッファですら足りないのではないかと不安ではあったのだが。。。
実際に乗ってみた
やるじゃんエアアジア
不安は増大、ハラハラしてまずは羽田からクアラルンプールへと出発したのだが、いざ乗ってみると、、
快適だしオンタイムじゃないか!?
嫌な噂はかねがね調べ尽くしていたものの出発時間が遅れることもなく、スムーズなフライトであった。
ただし、クアラルンプールまでは8時間近くかかり意外と遠いので、機内食が出ないというのは少し辛いものがあった。
もっとも、機内でも買おうと思えば買えるし、飲食物は原則持ち込み禁止だが、ペットボトル一本、軽いお菓子くらいであれば特に何も注意されることはなかった。
座席も素晴らしく広いとは思あなかったものの184cmの私でも取り立てて窮屈さを感じることはなかった。
唯一気になったのはやはり冷房が強めということだ。
東南アジア風のおもてなしとは、冷房キンキンの涼しいところでお迎えすることらしい(笑)
そんなこともあって機内はかなり寒かった。
女性の方はいくら目的地が熱い東南アジアと入ってもストールや薄いものを用意した方がよいだろう。
クアラルンプール国際空港
クアラルンプール国際空港にはほぼ定刻で到着、いよいよドキドキの乗り換えである。
一秒でも速く、急いで乗り換えないとと焦っていたのだが、、、
クアラルンプール国際空港は確かに広い。
エアアジアが主に使うターミナル2はX字のような形をしており、端から端まで行くためには結構な時間がかかることが予測される。
さらにセキュリティチェックが二回あり、Transferのゲートを越えてすぐに一回と、出発ゲート付近でもう一回ある。
これが混雑していたら時間は結構かかるだろう。
だが、私たちはわずか45分ほどですべての作業を終えてしまった。
もちろんセキュリティゲートではそれなりに待ったし、ゲートがどこか確認したり、トイレに行ったりする時間もあった。
しかしそれを含めたとしても1時間以上かかる、ということはなかなかないのではないだろうかと思う。
結局あまりに暇だったので二回目のセキュリティチェックを抜けた先のレストランでゆっくりと朝食を食べた。
ベトナムに行くのに格安航空券はおすすめか、否か
答えはYES
結局、私たちはホーチミンにもほぼ定刻で到着し、極めてスムーズにエアアジアを利用することが出来た。
懸案の帰りの便に関しても、遅延はなし。
やはり帰りも時間が余ってしょうがなかったので、2回目のゲートを超えた先にあるエリアでブラブラしていた。
クアラルンプール国際空港第2ターミナルは、なかなか広くて綺麗でいいのだが、2回目のゲートを超えると店の数も時間を潰せる場所も途端に少なくなる。
時間に余裕を持つことは大事だが、もし空港で少しお買い物などを楽しみたい場合は"第2のセキュリティゲートは越えない"ように強くアドバイスしたい。
そんなこんなで不安は色々とあったものの、結局日曜日の夜に日本へと無事帰国することができたのである。
しかし、これはひとえに遅延が一切発生しなかったこと、預入荷物がなかったことなどの要因によるものである。
特に遅延に関しては、弾丸旅行を計画しているならばかなり危ない事態に巻き込まれてしまうこともあるので、帰りに絶対に遅れたくないという方にはあまりお勧めできない。
しかし、エアアジアでの経験は私個人のおすすめ度と満足度でいえば極めて高いものであった。
学生の方や旅行から帰っても一日分くらい余裕があるような方など、遅延、乗り継ぎリスクに柔軟に対応できる人には断然お勧めだ。
また、アジア方面であればそこまで長時間のフライトにはならないのでLCCといえどもそこまで苦痛に感じることはないのではないだろうか。
LCCで海外に挑戦するのは初めてだったのだが、これからもアジア方面については積極的に試していきたいと感じた。
特にエクスペディアでホテルとセットで取った場合は、航空券運賃だけよりも安い場合があるので穴場だ。